定款を読むだけで終わる日もある
朝、事務所に出てコーヒーを一口飲んだ瞬間、ふと机の上に置かれた依頼書に目がいく。「定款の変更確認、念のため精査をお願いします」とメモが貼られていた。それだけで、その日の予定はもう崩れたも同然だ。ちょっと確認するだけのつもりが、気づけば午後。そういう日が年に何度もある。特に会社設立時の定款や事業目的の見直しのときは、文言一つに過敏になってしまう。「読むだけで1日終わった」なんて言葉が、他人には大げさに聞こえるかもしれないが、現場はそんな甘いもんじゃない。
午前中の予定が定款で消えた
この日も、午前中に二件の電話相談と登記書類の確認を済ませる予定だった。しかし、気になった定款の条文があって、念のため関連する判例や他の登記事例を引っ張り出して確認しているうちに、時計の針は正午を回っていた。自分でも「何やってるんだろうな」と思うが、少しでもリスクがあればお客様の信頼に関わる。予定通りに進まない日ほど、自分の慎重さが恨めしくなる。でも、妥協した後の後悔の方が怖いから、結局今日も昼ごはんはコンビニのおにぎりひとつで済ませた。
「ちょっと見直すだけ」が罠になる
たとえば「株式の譲渡制限に関する規定」の文言が「会社の承認を要する」になっていたとしても、細かい解釈や文脈によってはトラブルの火種になる。確認のつもりが「念のため」に次ぐ「念のため」で、気がつけば20条近くを全体的に読み直している。依頼者は「軽くチェックしてほしい」と言っていたけど、軽くなんてできるわけがない。定款に関する相談は「チェック」じゃなくて「戦い」だ。
昔の自分なら読み飛ばしていた
新人の頃は「定款はフォーマット通りでしょ」と高を括っていた。テンプレートを流用し、細かいところまでは確認しなかった。それで何度か「これはどういう意図ですか?」と突っ込まれて、冷や汗をかいた経験がある。あの時の恥ずかしさと悔しさが今の慎重さにつながっている。逆に言えば、あの頃の自分のような人が作った定款を見ると、つい突っ込みたくなってしまうのも、職業病かもしれない。
終わらない文言確認との戦い
一文字一文字に意味がある。司法書士としてやっていくうえで、それを疑ったことはない。だが、定款となると話は別。意味があるのは当然なのに、それでも「この表現で本当にいいのか?」と延々と悩んでしまう。お客様が起業家であればなおさら、「この会社の未来をこの文章に閉じ込めていいのか」と、勝手にプレッシャーを感じてしまうのだ。
条文の順番語尾の表記気になると止まらない
条文の順番一つで「読みやすさ」が変わる。語尾が「〜すること」と「〜するものとする」で揃っていないと気持ち悪い。おそらく依頼者にはどうでもいいことかもしれないが、自分としては見逃せない。深夜の誤字発見と同じで、一度気になったら眠れないタイプだ。誰も褒めてくれないけど、こういう小さなこだわりが積もって、やがて信頼になると思っている。
修正に修正を重ねてわからなくなる
修正履歴をたどっているうちに、どれが最初の原文か分からなくなることもある。自分で直したのか、お客様の指示だったのか、曖昧なまま文言が積み重なり、迷路のようになる。こんな日は「ああ、もう一回最初から書いた方が早いな」と思いつつ、それでもまた修正を重ねてしまう。完璧を求めた結果、無限ループに突入するのは、司法書士あるあるじゃないかと思ってる。
定款と向き合う孤独な時間
静まり返った事務所の中で、一人黙々と定款を読む時間。誰に見られるわけでもなく、声をかけられることもない。そんな時間が積み重なると、不思議と寂しさや孤独を感じることもある。特に夕暮れ時、窓の外がオレンジに染まっていくのを横目に、まだ第14条で止まっている自分にふと虚しさを感じる。仕事であっても、人との関わりが少ない日はやっぱりしんどい。
誰にも頼れないもどかしさ
うちの事務員さんは本当に気が利くし、日常業務の処理も丁寧だ。でも、定款となると話は別だ。条文の構成や法令との整合性、過去の判例の扱いなど、専門的な部分になるとやっぱり自分でやるしかない。誰かに「これ、どう思う?」と聞ければいいのに、周りに相談できる相手がいない。独立した以上、それが当たり前なんだろうけど、こういうときに「チームが欲しいなあ」と思う。
「この条文前もやった気がする」
似たような会社形態、同じような目的、同じような構成。それでも毎回微妙に違うから、結局一から確認するはめになる。時には「この条文、前にどこかで見たな…」と記憶をたどって過去案件を探し出す羽目に。検索性の悪い自作フォルダに埋もれた定款ファイルを漁る作業は、時間だけが奪われる。わかってはいるのに、つい過去の自分の答え合わせがしたくなる。
事務員に頼めない内容ばかり
「先生、これでいいですか?」と聞かれたとき、「いや、これはちょっと…」と答えるのが申し訳ない。でも、定款の細かい法的な判断はやっぱり自分でやるしかない。だからこそ、事務員には任せず、夜に一人で確認し直すことになる。任せられないのではなく、任せてはいけない領域。そういう境界線があるからこそ、司法書士の責任って重たいと思う。