書類に囲まれて孤独と戦う日々

書類に囲まれて孤独と戦う日々

朝のデスクに山積みの書類を見て立ち尽くす

朝、事務所のドアを開けて最初に目に飛び込んでくるのは、片付けた記憶のない書類の山だ。昨日帰る前に確かに「一区切りつけたはず」なのに、デスクの上には新たな依頼と期限付きの申請書類が所狭しと積み重なっている。まるで、昨日の自分が今日の自分に対して嫌がらせでもしているかのような光景だ。始業時間前に届くファックスや、ポストに詰め込まれた書類の束を見るたび、まず深呼吸してからでないと椅子に座れない。

気がつけば自分しかいない事務所の静けさ

ふと顔を上げると、隣に誰もいない。いや、正確には事務員さんはいるのだけれど、集中してる時間帯はそれぞれが無言になるので、室内の時計の秒針の音がやけに響く。誰かと一緒に働いているはずなのに、妙に孤独を感じる瞬間がある。とくに雨の日や、午後に予定していたお客さんが急にキャンセルになった日など、その静けさは倍増する。

「今日中ですか?」と聞かれたときの絶望感

「これ、今日中にお願いできますか?」という一言が電話の向こうから聞こえてきた瞬間、内心でガクッと肩が落ちる。相手には「かしこまりました」と返すが、その後机の上を見渡し、「今日中って何時までのことですかね?」と自問自答する羽目になる。そんなときに限って、登記のオンライン申請システムが重かったりするのも、この業界あるあるだと思う。

処理しても減らないファイルの山に心が折れる

どれだけ集中して処理をしても、次々にやってくる新しい案件。クリアファイルに入った申請書が減ったかと思えば、FAXで新たな依頼が届く。まるで、バケツで水を汲み出してもどんどん入ってくる穴の開いた船の中にいるようだ。達成感よりも、「もう少しだけやって終わらせよう」という感覚で動き続けている。たまには全部投げ出したくなるけど、投げ出す相手がいないのがまた切ない。

事務員さんはいてくれるが孤独感は変わらない

ありがたいことに、事務所には一人だけど事務員さんがいてくれる。それでも、責任の重さや最終判断を下すのは自分だという現実がある。彼女がいない世界を想像するだけでゾッとするけれど、彼女がいても解消されない種類の孤独も確かにある。ひとり親方であることの宿命なのだろうか。

相談できる相手がそばにいるとは限らない

難しい案件や、判断が微妙な登記。そんなとき、他の司法書士に相談したくても、気軽に電話できる相手がいるわけじゃない。同期とは疎遠になり、先輩には変なところでプライドが邪魔をする。結局、自分でググって、制度改正の資料を読み漁って、最後には「まぁこうだろう」と自分を納得させる。

「ちょっと聞いてもいいですか」が嬉しい日もある

そんな中でも、事務員さんが「先生、これってこういう意味で合ってますか?」と尋ねてくれると、ちょっと嬉しくなる自分がいる。頼られることに飢えているのかもしれない。自分の存在が、少しでも役に立ってる気がする。数秒でも、心がふっと軽くなるような、そんな会話が、今日一日を乗り切る燃料になることもある。

外に出ても別に待ってる人はいない

登記の関係で外出する日もある。法務局、銀行、不動産屋と回ることもあるが、どこも用件が終わればサッと関係が切れる。自分を待っている人なんていないし、用事が済めばただの通りすがりだ。誰とも会話しないまま帰る日もある。そういう日は、帰り道に流れるラジオがやけに染みる。

登記終わりの帰り道がやけに長く感じる

一件の登記を終えて、車に戻る。エンジンをかける手に、ほんの少しの達成感が宿るものの、また事務所に戻れば山積みの書類が待っている。コンビニのコーヒーを片手に「よし、もうひと頑張り」と自分を奮い立たせる。でも本音は、「誰かとしゃべりたいな」「一緒に飯でも食って帰りたいな」という、そんなごく普通の欲求だ。

誰にも言えないまま終わる一日

帰宅して、着替えて、晩酌しても、今日どんな仕事をしたのか誰かに話すことはない。テレビをつけても、バラエティの笑い声が虚しく響くだけ。元野球部だった頃、泥だらけでプレーして、帰りの電車でバカみたいな話をして笑ってたあの時間が、ふと恋しくなる。仕事は終わっても、気持ちはどこか片づかない。

司法書士の仕事は黙々と、でも責任は重い

誰かの権利や財産に関わる書類を扱うこの仕事は、ひとつのミスも許されない。でも、誰もこちらを注目しているわけではない。名前は表に出ないし、感謝されることも多くはない。それでも、やらなければ誰かが困る。そんな「縁の下の力持ち」としての矜持だけで持ちこたえている。

名前が出ないのに訴えられるリスクだけはある

不動産登記などでは、こちらが書類を間違えればお客さんの損失になるし、最悪の場合、損害賠償になる可能性もある。にもかかわらず、名前が新聞に出るようなことはない。つまり、評価されることなく、責任だけが重い。誰かがやらなければいけない役回りであることは重々承知しているが、それが心のどこかで疲労を蓄積させる。

「書き方を間違えるな」と常に自分に言い聞かせる

登記申請書一枚でも、記載の順番、用語、添付書類の形式など、すべてが決まっている。気を抜けば、あっさり補正が来る。「この一文字、間違ってるだけで全部やり直しか」と思うと、震えるような緊張感の中でペンを走らせることになる。事務所内で誰も見てなくても、自分には誤魔化しがきかない。

それでも、この仕事にしがみついている理由

正直、「やめてしまいたい」と思う日もある。でも、依頼人の「助かりました」「ありがとう」という一言に、どうしても報われてしまう自分がいる。仕事としては地味で、孤独で、神経がすり減るような日々だけど、やっぱり必要とされていると感じる瞬間がある。それが、自分をこの場所に踏みとどまらせている。

「ありがとう」の一言だけで報われる瞬間がある

「急なお願いでしたが、助かりました」――この一言を電話口で聞いたとき、不覚にも目頭が熱くなったことがある。書類の山が報われた気がした。たった一言、されど一言。司法書士という立場は、感謝されにくいかもしれない。でも、その希少な一言が、すべての疲れを和らげる。

誰かの人生の区切りに関われるという誇り

相続や会社設立、不動産の売買――司法書士が関わる場面は、人生の節目だ。その重要な局面で、自分が必要とされているという事実。それは、自分が社会と繋がっている証でもある。たとえ報われない日が続いても、誰かの節目に立ち会えたという事実が、心の中に静かに灯る小さな誇りになっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓