朝一番の来訪者
雨の日にやってきた喪服の女
まだ時計の針が午前九時を回ったばかり。雨に濡れた傘を玄関に立てかけながら、喪服姿の女性が事務所に入ってきた。 目元を覆う黒いレースの帽子のせいで表情は読みにくかったが、張り詰めた空気が彼女のまとう沈痛な事情を物語っていた。 「父の遺言に関して相談があります」と、低く抑えた声が事務室に響いた。
消えた遺言書の謎
確かに預かっていたはずなのに
遺言書は、たしかに1年前に私が預かった。封緘された公正証書遺言。記録もあるし、受け渡しの控えもファイルに保存していた。 だが、金庫の中にはそれがなかった。代わりに一枚のメモと、見覚えのないUSBメモリがぽつんと置かれていた。 「なぜ、、、ない?」思わず声が漏れた。後ろからのぞき込んだサトウさんが「管理不備ですか」とだけ言ってきた。塩対応である。
依頼人の兄と揉める妹
相続をめぐる冷たい火花
喪服の女性は依頼人の長女・カナだった。彼女は父の財産を社会福祉法人に寄付する意向が書かれた遺言書を信じていた。 しかし、兄のコウジは父の最終意思は「すべて自分に残す」という音声データにあると主張。 双方の主張が食い違う中、私はそのUSBを再生するしかない状況に追い込まれていった。
録音データの存在
音声ファイルに残された意思確認
再生された音声には、確かに依頼人の父の声があった。「全財産はコウジに……」としっかりとした口調で語られていた。 だが、どこか引っかかる。1年前に遺言書を作成した時の面談で聞いた声と、微妙にトーンが異なる気がしたのだ。 「この声、ちょっと違和感ありませんか?」私が言うと、サトウさんは腕を組んで頷いた。「声紋解析しますか?」
その声は本人なのか
再生された声に違和感を覚える
声の抑揚、話し方、微妙なイントネーション。確かに父親のものに似てはいたが、感情のこもり方が薄い。 サトウさんはスマホを取り出し、以前の面談の録音ファイルを探し始めた。私は焦りながらも、そちらの再生を待った。 「やっぱり、少し違いますね。ボイチェン技術ですかね」とサトウさんが呟いた。まるで怪盗キッドの変声器を使ったかのような話だ。
サトウさんの冷静な耳
たった一言の違和感が導く突破口
「ポイントはこの“全財産は”の言い回しです。前回は“預貯金は”と具体的でしたよね」 鋭い。まるで『名探偵コナン』の蘭の父・毛利小五郎ばりに冷静なサトウさんが分析を続ける。 私はもはや聞き役だった。情けないが、ここで足を引っ張るわけにもいかない。
過去の依頼記録を洗う
うっかり保存していたメールがカギに
ふと、私は1年前のやり取りを確認するため、メールフォルダを漁った。 すると、父親から送られてきたメールの中に、「兄には一銭も残したくない」という文言が残されていた。 「やれやれ、、、俺のうっかりが役に立つとはな」独り言のようにつぶやいた。
遺言執行を妨げた者
録音された声の正体を暴く
声の解析結果は「本人の声と類似するが一致しない」というものだった。 録音は、過去の声をつなぎ合わせて作られた合成音声。兄のコウジはそれを使い、遺言をねつ造していたのだ。 証拠は整った。カナは目を潤ませながら礼を言い、コウジは沈黙したまま警察に同行された。
サトウさんのひらめき
司法書士が見落とした一点
「声だけで遺言の真偽を争う時代って、もう来てるんですね」サトウさんは呟いた。 「だからこそ、確認と記録は慎重に」という言葉に、私は深く頷いた。 司法書士の責任の重さを、また改めて痛感したのだった。
やれやれの反撃
再生ボタンで暴かれた嘘
すべての録音データを法務局に提出し、正式な遺言の履行が進められた。 私は報告書をまとめながら、「こんなことで声に裏切られるとは」とため息をついた。 「それ、ブログにでも書いたら?」とサトウさん。やれやれ、、、皮肉は相変わらずだ。
本当の意思はどこにあったのか
法と心のはざまで選んだ結論
法律の世界では“証拠”がすべて。しかし、人の本当の思いは、データでは測れない。 今回の件で、私はまた少しだけ、司法書士としての重さを知った気がする。 帰り際、空を見上げると雨は止み、蝉の声が遠くで鳴いていた。
静かに終わる雨の日
サトウさんの一言に苦笑い
「結局、ちゃんと保存してた自分を褒めたらどうです?」とサトウさん。 私は「そんなことしたら調子に乗るだろ」と返しながら、どこか救われた気がした。 声が遺したもの、それは“意志”であり、そして“真実”だったのかもしれない。