記憶に書き換えられた転居届

記憶に書き換えられた転居届

転居届の違和感

午前十時の来訪者

いつものように冷めた缶コーヒーを片手に、机の上の書類の山とにらめっこしていたところに、扉のチャイムが鳴った。時計を見ると午前十時ちょうど。予約はなかったはずだ。
入ってきたのは三十代半ばくらいの女性で、どこか不安げな目をしていた。彼女は開口一番、「この転居届、記憶と違うんです」と言った。

住所が二つある女

彼女の話をまとめると、三か月前に引っ越したはずなのに、役所には転居の記録が二重で残っているという。しかも、一方には見覚えのない住所が記載されていた。
提出した記憶があるのは一つだけ。もう一つは「書いた覚えもないし、住んだこともない」と言う。書類を確認すると、署名も本人の筆跡に似ているが、わずかに違和感があった。

調査の始まり

住民票の不整合

市役所で住民票を取得してみたが、たしかに二度、転居届が出された形跡があった。転入先も転出先も異なるが、提出者名はどちらも本人。だが、申請日は一週間しか違わない。
「これは役所の誤記か、誰かが故意に…?」と思ったが、窓口の係員は「通常通りの処理です」と涼しい顔だ。何かが引っかかる。

役所の端末に残る謎の履歴

サトウさんがこっそり情報公開請求の手続きに同行してくれて、端末履歴を調べると、転居届の入力が別々の職員によって行われていたことが判明した。
しかも、二つ目の届け出は深夜に端末へ仮登録されたものを、朝に「確認済」として処理していた。普通、仮登録はその日のうちに本人確認を取るはずなのにだ。

過去の記録と空白の三ヶ月

登記情報との食い違い

登記簿の履歴と照合すると、女性が実際に住んでいたと主張するマンションには確かに三ヶ月前に入居していた。
しかし、もう一つの住所には、ある男性の名前で賃貸契約が結ばれており、その保証人欄に彼女の旧姓があった。本人はまったく記憶にないという。

郵便局が語る第三の住所

決め手になったのは、郵便局の転送サービス記録だった。彼女の名前で転送がかかっていたのは、まったく別の県の住所だった。
「引っ越しどころか行ったこともない」と彼女が言うその住所には、過去に詐欺事件で名前が挙がったことのある人物が居住していたのだ。

サトウさんの推理

記憶とデータの照合

「おそらく、誰かがあなたの身元を借りて何かをしようとしたんでしょう」とサトウさん。彼女の指摘通り、保証人欄や筆跡の類似点をAI筆跡解析にかけると、偽造の可能性が高いと出た。
どうやら元同棲相手が、彼女の身分証を使って別の生活をしていたらしい。なりすましというより、共犯に仕立て上げられる危険があった。

「転居していない」証言の矛盾

「あなた、ほんとに一度もその住所に行ってないんですか?」と訊くと、彼女は黙り込んだ。そしてポツリと、「彼に連れて行かれた記憶が…一度だけ…」
記憶は書き換えられたわけではなく、封印されていたのかもしれない。人の記憶など曖昧なものだと、改めて感じた瞬間だった。

やれやれの真相追跡

再現された改ざん手口

不正に転居届を出すには、偽造身分証が必要だ。それを可能にするのは、本人の私物の中にある資料だ。引っ越しの際に残していた紙の資料が悪用されていたと分かった。
彼女の部屋にあった古い公共料金の控えや、マイナンバー通知書の写し。全部、共犯者が持ち出していたのだ。「やれやれ、、、俺の仕事じゃないんだけどな」と思いつつ、調査は続いた。

一枚のコピーが暴いた真犯人

決定打は、FAXで送られてきた古い住民票の写しに押された印影だった。そこには、元彼が一時期勤務していた清掃会社の管理印が押されていた。
「誰が何の目的で転居届を使ったのか」よりも、「なぜ今になってこの記憶が戻ったのか」のほうが重要だった。すべては、記録と記憶の間のズレから始まっていた。

事件の結末と日常へ

書類と記憶の狭間にて

転居届の改ざんについては、元彼に事情聴取が行われ、詐欺未遂として処理された。彼女の戸籍と住民票は正しく修正され、無事元の生活に戻ることができた。
だが、彼女の中には今も小さな不信感と恐怖が残っているようだった。それもまた「記憶」の一部なのだろう。

サトウさんの一言に救われる

「記憶ってやっかいですね」と俺がぼやくと、サトウさんが言った。「記憶が改ざんされるより、過去の自分を見たくないって方が多い気がしますよ」
その一言に、なぜだか少しだけ救われた気がした。やれやれ、、、今日もまた一つ、司法書士らしからぬ事件が終わった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓