登記簿に眠る嘘

登記簿に眠る嘘

依頼は一本の電話から始まった

その日、事務所の電話は珍しく午後三時まで鳴らなかった。昼食後の微睡みを断ち切るようにして、黒電話のような着信音が事務所に響いた。

受話器を取ったサトウさんが、無言で数秒耳を澄ませたのち、こちらに目を向けた。彼女の眉がほんの少しだけ動いたのを見逃さなかった。

「シンドウ先生、古いアパートの相続登記の相談です。ちょっと面倒な匂いがします」

午後三時の無言電話

最初は何も聞こえなかった。雑音だけが流れる電話の向こう、誰かが息をひそめているような気配。

やがて女性の声が、途切れ途切れに語り始めた。「父が亡くなりました。でも、登記のことで兄と揉めていて…」

声の震えと一緒に、何かを隠している気配も感じられた。そういうとき、こちらの出番だ。

サトウさんの塩対応と茶菓子

依頼者が訪ねてきたのは翌日だった。細身の中年女性。服装は控えめだが、目が妙に鋭かった。

「相続登記のご依頼ですね」と、サトウさんは事務的に対応し、茶菓子と書類をそっと机に置いた。

彼女の態度は冷たいが、無駄がない。まるでAIみたいだ、と心の中でツッコミながら、話を聞き始めた。

古びたアパートの相続登記

対象物件は、町はずれの古びた二階建てアパート。昭和感満載の外観に、不吉な沈黙が漂っていた。

「父が所有していたはずですが、兄が勝手に住み始めて…」と依頼者は言う。

しかし、登記簿を見ると、そこには別の名前が浮かび上がっていた。父でも兄でもない第三者の名だった。

被相続人は消息不明の老人

調べを進めるうちに、被相続人とされた父親の死亡届が未提出であることが判明した。彼は“亡くなったことにされて”いた。

「サザエさんの世界じゃ、波平さんはずっと元気なのにね…」と呟いたら、サトウさんに睨まれた。

どうやらこの相続、表面よりもずっと深い闇が隠れていそうだった。

登記申請人の不可解な主張

依頼者の兄は既にアパートを売却する準備を進めていた。しかし彼が提示した所有権証書は、どこか不自然だった。

しかも、印鑑証明が発行された場所は、被相続人の本籍地とまったく異なる自治体。

「こりゃ、書類だけでゴールできる相続じゃないな…」と、ぼそっと愚痴が漏れた。

現地調査と二重の嘘

物件を実際に訪ねると、アパートの一室は荒れ果て、住人の気配はなかった。

しかし、部屋の前に置かれた郵便物は、数ヶ月分が積もっていた。

誰かがここで生活していたのは確かだ。問題は、それが誰なのか、だ。

登記簿と現況の矛盾

登記簿上の所有者は、十年前に行方不明になったという別人。おまけにその人物は、依頼者の父とは赤の他人だった。

つまり、アパートは依頼者の父のものではなかったということになる。

やれやれ、、、なんで俺がこんなパズルを解く羽目になるんだか。

隣人の証言と封印された部屋

隣室の老婆が口を開いた。「あそこに住んでたお爺さんね、五年前に救急車で運ばれたきり、戻ってないよ」

部屋の中を見せてもらうと、通帳と古い住民票の写しが押入れから出てきた。

それは、失踪した登記名義人のものだった。事件の鍵が、やっと見えてきた。

サトウさんの調査メモ

事務所に戻ると、サトウさんが黙ってメモを差し出した。例によって、何も言わないのが彼女のスタイル。

メモにはこうあった。「被相続人の旧姓が別人と一致。婚姻による改姓の可能性あり」

つまり、失踪者と依頼者の父は、同一人物だった可能性が出てきた。

固定資産税情報から浮かぶ旧姓

市役所で確認すると、課税台帳に旧姓のままの名義が残っていた。納税者は依頼者の兄だった。

つまり、登記名義人の失踪後も、兄は黙って固定資産税を支払い続けていたのだ。

知っていて黙っていたのか、それとも誰かにそう仕向けられたのか——。

法務局で見つけたもう一つの登記簿

本物の登記簿が、旧姓名義で別の土地に残っていた。名寄帳にその記録が紐づいていたのだ。

つまり、依頼者の父とされる人物は、実は失踪名義人で、改名後の姿だった。

すべての嘘が、ようやく一つにつながった。

シンドウの一手

依頼者の兄が偽造したのは、父の死亡の事実そのものだった。

彼は父の所在を隠し、勝手に財産を整理しようとしていた。けれど、司法書士の前ではそれは通用しない。

「あんたねえ、登記ってのは、サザエさんの次回予告より正直なんだよ」

遺産分割協議書の謎の署名

協議書に記された“父の署名”は、兄が利き手ではない左手で書いたものだった。

筆跡鑑定の結果が決め手となり、警察が動いた。

俺の出番はそこまでだったが、ここまで来るとちょっと気持ちがいい。

元野球部のカンが冴えるとき

あのとき、署名の曲がった筆跡を見て、バッターボックスで感じる「違和感」と同じものを感じた。

あのカーブは普通のストレートじゃない、そう思ったときの感覚に似ていた。

人生、無駄な経験なんて一つもないもんだ。

やれやれ事件は終わった

兄は起訴され、失踪名義人だった父親は福祉施設で保護されていた。

依頼者は涙を流しながら「これで父と向き合えます」と言ったが、俺は何も言えなかった。

司法書士にできるのは、記録の整合性を正すこと。それ以上でも以下でもない。

不動産をめぐる家族の断絶

登記簿に刻まれた文字は、時に誰かの嘘と、誰かの沈黙でできている。

だがそれを読み解くことが、俺の仕事だ。誰かのためでなく、制度のためでもなく、事実のために。

それが、司法書士という職業の悲しき美学なのだ。

最後に笑ったのは誰か

「先生、今月の事務所の収支、赤字ですけど?」と、サトウさんが冷静に言う。

やれやれ、、、せめて推理で当てたぶんくらい、手当出してくれてもいいのに。

事件は解決したが、俺の生活はまだ迷宮の中だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓