登記簿に消えた証人

登記簿に消えた証人

登記簿に消えた証人

午前十時の来訪者

朝のコーヒーにありつく間もなく、事務所のドアが控えめにノックされた。時計はちょうど午前十時。予約表に名前はなかった。
サトウさんが眉一つ動かさずに「どうぞ」と声をかけると、スーツ姿の中年男性が一歩踏み入れた。手には分厚い封筒。
「十年前に父の名義だった土地の登記について相談したいんですが…」その声にはどこか迷いがあった。

予約にない依頼人

「飛び込みか…」私は内心でうめきつつ、応接室へ案内した。
男の名は高村。父が他界したのは数年前だが、その土地の登記が未だに仮登記のままだという。
「しかも、父が売ったことになってるんです。売った相手が…消えていて…」と、語尾が震えていた。

不審な所有権移転の経緯

古い登記簿謄本を取り寄せてみると、確かに十年前に仮登記された記録があった。登記原因は「売買」だが、売買契約書が存在しない。
しかも、仮登記の抹消がされていないにもかかわらず、現地は更地になっており、別の人物の手に渡っているという。
これは、単なる放置ではない。誰かが、何かを隠している気配がした。

旧家屋と古い登記簿

問題の土地にはかつて小さな木造住宅が建っていたという。今ではGoogleストリートビューにも痕跡はない。
だが、登記簿に残る家屋番号は、近隣の地番と微妙にズレていた。
「このズレ、サザエさんでいうところの波平さんが勝手に木を切ってご近所トラブルになる回に似てません?」
サトウさんが淡々とつぶやく。

地番と家屋番号のねじれ

現地調査のため、法務局の住宅地図を確認すると、過去には「別の持ち主」が地番を共有していたことがわかった。
つまり、登記上は一つの土地なのに、実際には二つの家が建っていた。
そして仮登記された買主は、どうやら隣人だったらしい。

十年前の仮登記の意味

仮登記は、将来の本登記の予約のようなもので、条件が満たされれば本登記にできる。
だが、その条件が曖昧なまま、登記が放置されていると、時間とともに事実関係が風化する。
今回は、その「風化」を利用した意図的なものに思えた。

行方不明の元所有者

故・高村氏の過去をたどっていくと、突然土地を手放した直後に姿をくらましたという記録があった。
家族には何も言わず、葬儀も行われていない。死亡診断書もなければ、除票も見つからない。
「消されたんじゃないですかね」とサトウさんがまた無表情で言う。

隣人の証言と空白の年月

隣の家の老婦人からは、「あの人、急にいなくなってね。でもあの日、スーツの男たちが来てたわ」と証言を得た。
登記簿に名が出てきた買主と一致する人物の住所を訪ねたが、そこにも彼の姿はなかった。
どうやら、この買主もまた実在しない可能性が出てきた。

近隣トラブルと境界争い

地元の測量士に話を聞くと、かつてその地域では境界を巡る争いが多発していたという。
特に高村氏の土地周辺では、数件の訴訟記録も残っていた。
そのうちの一つが、「仮登記の買主」と名乗る人物が起こしたものだった。

サトウさんの冷静な分析

事務所に戻ると、サトウさんが登記原因証明情報を精査していた。
「これ、明らかに筆跡が違います。契約書は偽造ですね」彼女は静かに断言した。
さらに、添付された委任状には登記識別情報の番号がなかった。

登記原因証明情報の矛盾

しかも、高村氏の署名は過去の遺言書のものと比べても筆跡が異なる。
登記を申請した司法書士は、既に廃業していた。
書類の中には、どう考えても「誰かが書いた」契約書が紛れ込んでいた。

法務局の調査記録を確認

念のため法務局に問い合わせると、当時の申請に対する補正指示の記録が残っていた。
その内容は、「買主の住所に事実確認ができないため、登記を保留した」というもの。
つまり、仮登記は存在するが、その信頼性はゼロに近い。

かすれた署名と封筒の謎

高村氏の遺品の中に、一通の古びた封筒があった。そこには、薄くかすれた署名とともに「申し訳ない」とだけ記されていた。
その筆跡は、登記書類のものとは一致していなかった。
「誰かが、本人になりすまして仮登記を申請したんでしょうね」サトウさんがまた冷静に言う。

旧姓で残る過去の痕跡

さらに封筒の裏面には、旧姓の印鑑が押されていた。それは、隣人の娘のものだった。
彼女は五年前に離婚し、実家に戻っていたという。
どうやら彼女が、父の名義を騙って仮登記を行った可能性がある。

手紙が語る真実の片鱗

封筒に入っていた手紙には、「あの土地は、私のものになるはずだった」と書かれていた。
そこには嫉妬と執着がにじんでいた。父親の死後、自分の生活を安定させるため、書類を偽造したのだ。
「やれやれ、、、こんなサスペンス、三文ドラマでも最近見かけませんよ」私はため息をついた。

私は現地へと足を運ぶ

決着をつけるため、再び現地を訪れた。
今は草が生い茂り、かつての住宅の面影はないが、地面の一部に古びた鍵が落ちていた。
それは、過去にあった家の裏口の鍵だと、地元の人が教えてくれた。

老朽化した空家の裏口

鍵を持って裏手のフェンスを回ると、かつての家の基礎が残っていた。
そこには、もう一枚の手紙が落ちていた。おそらく誰かが処分し忘れたものだ。
そこには、「これで過去を精算できると思った」とあった。

床下に落ちていた鍵

家の床下に潜ると、さらに古い書類の束が見つかった。
その中には、遺産分割協議書のコピーがあり、真の相続人の名が記されていた。
つまり、この仮登記は、本来の相続人から土地を奪うための計画だった。

再び現れた依頼人

高村の息子が再び事務所を訪れた。彼は何かを知っているようだった。
「実は…父は最後まで隣人の娘を信じてたんです」彼は言った。
だが、その信頼が裏切られたと気づいたとき、すでに取り返しがつかなかったのだ。

彼の語る過去と嘘

「父が消えたのは、罪悪感からです。彼女に土地を譲ったのは、自分の意思だったと偽って…」
だが、法的にはその意思が示された証拠はなかった。
「結局、父も被害者だったんですかね」彼の言葉が、妙に空しく響いた。

証人ではなく犯人だった

結局、仮登記の買主として登記をしたのは隣人の娘だった。
偽造書類と知りながら提出し、土地を乗っ取ろうとしたのだ。
事件として警察に通報され、彼女は任意同行を受けた。

サトウさんの一言

一連の手続が終わったあと、私は疲れた体で椅子に沈み込んだ。
「やれやれ、、、土地一つでここまでドラマがあるとはね」
「登記簿ってのは、静かに人間の欲がにじみ出るんですよ」とサトウさん。

すべてを繋げた小さな違和感

彼女が最初に気づいた「筆跡の違い」から、すべてが始まったのだった。
書類の一字一句が物語を語り、そして暴く。
司法書士の仕事は、時として名探偵のような目を要求されるのだと実感した。

やれやれと言いつつも

次の依頼がすでに待っている。私の机の上には、また新しい謄本が置かれていた。
やれやれ、、、今日はもう、コーヒーすら飲ませてもらえないのか。
それでも、どこかで誰かが困っているなら、私がやるしかない。

登記簿に刻まれる決着

土地の名義は、正式な相続人に移転された。仮登記は抹消され、静かに事件は幕を閉じた。
しかし、登記簿の一行一行が、過去の争いの痕跡として残り続ける。
司法書士は、それを読み解く語り部のような存在であり続けるのだ。

仮登記の抹消と真実の名義

抹消登記の申請を終えた時、私はようやく安堵の息をついた。
サトウさんはすでに次の申請書を準備している。
彼女の動きに、私はひそかに感謝している——声に出すことはないが。

誰が得をし誰が失ったのか

この事件で本当に得をした者はいただろうか。
失ったのは、信頼と家族の絆だったのかもしれない。
けれど、少なくとも登記簿だけは、真実を記録し続けている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓