不自然な相続登記

不自然な相続登記

朝の依頼者

事務所のドアが、曇天の中、静かに開いた。湿った空気と共に、小柄な女性が姿を見せた。濡れた傘を畳む手は震えておらず、ただ冷静に受付へと歩を進めた。

「この土地の登記について相談したいんです」——その一言は、朝のルーティンを一瞬で壊した。サトウさんは眉一つ動かさず、来客カードを差し出す。

僕は奥からコーヒーを持ち出してきたが、相手はそれに目もくれなかった。何かを隠している目だった。

雨音と共に現れた女性

黒いレインコートに包まれたその女性は、「村田」とだけ名乗った。住民票を確認すると、確かに本人の記載がある。だが、彼女の来訪には何か裏があるように感じた。

話を聞けば、父親が亡くなり、遺産分割協議書に従って登記を進めたいという。だが、書類の端々に違和感が滲んでいた。誰かが彼女を操っているのかもしれない。

「ここに、印鑑証明をお持ちいただいてますか?」という問いに、彼女は一瞬だけ目を逸らした。

名前を語らない理由

相続人の一覧に「村田浩司」という名がある。兄らしいが、その人物の戸籍には奇妙な記載があった。「養子縁組解消」という文字が、まるで過去を切り裂くように浮かび上がっていた。

サトウさんがパタパタと戻ってきた。「これ、法務局で取得した原本と微妙に違います。印鑑が新しすぎる」——やれやれ、、、朝からこんな展開とは。

「サザエさんに出てくる波平さんだったら、もうすでにカミナリ落としてるぞ」とぼやく僕に、サトウさんは冷ややかな目線を寄越すだけだった。

不自然な相続登記

登記簿を確認すると、直近の所有者変更が不自然に早かった。亡くなって数日で登記申請が出されている。普通なら、遺産分割協議にはもう少し時間がかかるはずだ。

「これ、事前に書類を用意していた可能性がありますね」とサトウさん。事前準備は悪ではないが、誰がどうやって手に入れたのかが問題だった。

登記の目的欄には「贈与」と記されていたが、登記原因証明情報には「遺産分割」とある。明らかな矛盾。司法書士として見逃せない。

疑惑の遺言書

遺言書のコピーも提示されたが、封筒には検認の痕跡がなかった。つまり、家庭裁判所を通していない。自筆か公正証書かも不明で、筆跡が古びた紙にしては妙に整いすぎている。

「これ、最近書かれたものですね」と、サトウさんが鑑定風に言い切る。彼女は大学で筆跡学の講義も受けていたらしい。僕とは違って、余計な知識が豊富だ。

それにしても、この遺言書が偽物なら、誰が何のためにこんな芝居を打ったのか。

登記簿に現れた不一致

過去の登記履歴を見ると、被相続人が以前に所有していた土地が他にもあることが分かった。しかし、それらは今回の相続対象に含まれていない。

つまり、都合の良い土地だけを登記させようとしているのだ。分け前が多い不動産だけを取り込むような行動。詐欺に近い。

「まるで、ルパン三世の不動産版ですね」と冗談を言ったが、サトウさんは相変わらず真顔のままだった。彼女にジョークは通じない。

サトウさんの冷静な分析

彼女はパソコンで法定相続情報一覧図を作成しながら、ポツリと呟いた。「これは、たぶん、兄が仕組んだ構図ですね」。

「でも、兄は養子縁組を解消していた。法定相続人ではない」——僕の反論に、サトウさんは「そうです。でもそれに気づかないと信じていたんでしょう」と冷たく笑った。

サザエさんのワカメなら、たぶん泣いてるぞこの展開、とまた心の中でツッコミを入れた。

通帳コピーの矛盾

資料の中に紛れていた通帳コピーに目を留める。亡父の口座から、大きな出金履歴が葬儀の直前にある。しかも振込先は「村田浩司」。

どうやら遺言書の作成料名目で支払わせたようだ。そんな費用の支払いを被相続人が望んだ証拠はどこにもない。

登記のタイミングと照らし合わせると、すべてが一枚の絵のように繋がって見えた。

会話に滲む嘘の匂い

その日の午後、再び村田という女性が現れた。少し焦った表情だった。こちらが疑念を持っていることに気づいているのかもしれない。

「この登記、急ぎでお願いしたいんです」——言葉の裏に焦燥が見える。その理由を探るのが僕らの仕事だ。

「急ぎはできません。法的に確認が必要です」と告げると、彼女は書類を鞄に戻し、立ち上がった。「また連絡します」——それが最後の言葉だった。

消えた相続人

それから数日、村田浩司の所在を探るが、住民票は既に除票扱い。行方不明になっていた。何かを恐れて逃げたのだろうか。

「詐欺はバレた時が終わりですから」とサトウさん。妙に説得力があるその台詞に、思わず頷く。やっぱり彼女は只者ではない。

そして、登記申請は取り下げられた。静かな終わりだったが、裏には小さな戦いがあった。

昔の戸籍に残る影

古い戸籍には、「村田浩司」が養子縁組された経緯と解消された理由が丁寧に記されていた。育ての父が残した最後の意思は、浩司を相続人から外すことだったのかもしれない。

「そういうことを、無視しちゃいけない」と僕は呟いた。たとえ相続登記の手続きが淡々としていても、その裏にある人間の想いは無視できない。

やれやれ、、、登記簿に書かれない物語は、こうしてまた一つ幕を閉じた。

そしてまた次の朝

朝、湯気の立つコーヒーを啜りながら、デスクに目をやる。今日も案件が山積みだ。世の中は事件だらけ、司法書士に休みはない。

「シンドウさん、次の相談者来ましたよ」とサトウさんの声が聞こえる。表情は変わらず塩対応。だけど、頼りになるのは間違いない。

僕は背中を伸ばし、静かに立ち上がった。さて、今日はどんな物語が登記簿に書き加えられるのだろうか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓