相続登記が進まない家族の関係が複雑すぎて誰も連絡を取りたがらない件

相続登記が進まない家族の関係が複雑すぎて誰も連絡を取りたがらない件

登記よりも人間関係が難しいと思った日

司法書士をやっていると、書類や法律よりも「人間関係」のほうが厄介だと感じる瞬間が山ほどある。中でも相続登記は、その傾向が顕著だ。故人の財産を誰がどう相続するのか、法律上のルールは明確にあっても、実際に関係する人たちの感情がそれに追いつかない。ある日、依頼された相続登記がまったく進まなくなった。その理由は「家族の関係が複雑すぎる」という一言に尽きるのだが、それがどれほど業務に影響を与えるのか、まざまざと見せつけられることになった。

書類は揃っているのに誰も押印しない現実

書類としては、戸籍も揃い、評価証明書も完璧。あとは相続人全員の実印と印鑑証明を集めるだけだった。しかし、最初に連絡した相続人の一人が開口一番、「他の兄弟とは絶縁状態なので、連絡しないでくれ」と言い出した。いや、連絡しないでくれって言われても、印鑑をもらわなきゃ登記できないんですよ…。昔の野球部時代の上下関係よりも、この“家庭内ヒエラルキー”のほうがよっぽど怖い。どうやら兄弟姉妹の間で遺産の配分をめぐって感情的な溝があり、それが何年も解消されていなかったらしい。

亡くなった親のことを誰も語りたがらない

この家族、亡くなった父親について誰も話そうとしなかった。思い出話を避けているのか、聞けば嫌な記憶がよみがえるのか、それとも単に無関心なのか。どちらにせよ、親の死をめぐって連絡を取ることすら「面倒なこと」だと避ける傾向があった。こちらとしては、「とにかく印鑑だけでも…」と頭を下げるしかない。まるで、壊れかけた家族写真のピースを無理やり合わせて接着剤でくっつけるような作業。それが仕事だと言われればそれまでだけど、正直、胃が痛い。

「あの人とは関わりたくない」の連鎖反応

一人が「あの人には会いたくない」と言い出すと、他の人も続く。「私もあの妹には言いたいことが山ほどあるけど、今さら話す気もないし」なんて、愚痴の連鎖が始まる。まるで高校の部室で先輩後輩の派閥争いを見ているような気分。しかもこちらは部外者。関係修復の糸口もないし、時間だけが過ぎていく。連絡を取るたびに「なんで私がやらなきゃいけないの?」というトーンが電話口から滲み出ていて、だんだん自分が悪いことしてる気分になってくるのが地味にしんどい。

電話をかけるたびに精神が削られていく

通常の案件なら、多少の手間はあっても、粘り強くやれば終わる。でも、この手の家族関係がこじれている案件は、電話を一本かけるだけで精神がゴリゴリ削られていく。「司法書士って、法律の専門家じゃないの?」と自分でも思う。でも実態は、感情のゴミ屋敷に片足突っ込んでる掃除人。電話するのが怖くなる。書類が山積みになっていくのに、机に向かう気力が湧かない日もある。おかげで、うちの事務員にも不安を与えてしまって、何ともやるせない。

「そっちで勝手にやってよ」と言われた絶望

一度、相続人の一人から「そっちで勝手にやってくれよ」と吐き捨てられたことがある。いや、勝手にはできません。登記申請には全員の協力が必要なんです。でもその説明をする前に電話を切られてしまう。頭の中で10回くらい「引き受けなきゃよかった」とつぶやいた。依頼者のためにやっているのに、結果として誰にも感謝されず、むしろ敵視される理不尽。こんなとき、自分がただの“伝言係”にしか思えなくなるのがつらい。

話が通じる人が一人もいない時の対処法

全員がバラバラで話も通じず、誰も協力しない。そういうときは、まずは「一番マシな人」を探す。少なくとも話が通じそうな人に地道に連絡を取り、協力を仰ぐしかない。あとは、冷静さを保つこと。感情的になったら負け。昔、野球部の試合でミスをして怒鳴られたときに耐えた経験が、ここで役立つとは思わなかった。無表情を貫くスキル、大人になってから一番活きてるかもしれない。

事務所経営者としての本音

地方で司法書士事務所をやっていると、どうしても一人あたりの負担が大きくなる。大きな事務所みたいに分業もできないし、事務員に無理をさせるわけにもいかない。だから結局、変な案件も、面倒な連絡も、全部自分で抱えることになる。寝ても覚めても「次は誰に電話しよう」「どうやって説得しよう」なんて考えているうちに、休日なんてものは自然と消えていく。独身でよかったのか、寂しいだけなのか、正直わからない。

依頼人のために動くはずが中間管理職状態

本来、司法書士は依頼人の利益を守る立場。けれども、こういう案件では相続人同士の間に立たされて、まるで板挟みの中間管理職状態になる。「あの人に言ってもらえます?」と頼まれても、「私が言うのもなんですけど」と毎回ことわりを入れるしかない。この“誰かの代弁”が本当に心の負担になる。でも誰かがやらなきゃ進まないからやるしかない。事務所を回すために。

事務員にも気を遣いすぎて結局一人で抱える

うちの事務員はよくやってくれている。でも、こんな複雑な案件まで任せるわけにはいかない。変な電話が来たら精神的にやられてしまう可能性だってある。だから、ついつい「これは自分がやるしかない」と抱え込んでしまう。そして疲れてくると、事務員にも不機嫌な態度をとってしまい、あとで猛烈に反省する。優しくありたいのに、優しくなれない。それが地味に一番つらい。

自分が壊れる前にやるべきだったこと

結局のところ、もっと早く外部の士業と連携を取るなり、断る勇気を持つべきだったのかもしれない。全部自分でやろうとするのは、野球部時代の「責任感」みたいなものが染みついてるせいかもしれない。でも、このままじゃ身体も心ももたない。人に頼ることは弱さじゃない。そう気づくのに何年もかかった。

それでも登記を終わらせるために

仕事として、そして依頼人のために、最終的には登記を終わらせなければならない。相続人全員が協力的になることなんて、まずない。でも“登記を完了させる”というゴールは動かない。だからこそ、どんなに難航しても前に進める工夫が必要になる。気力体力、そして少しの運を使って乗り切るしかないのだ。

全員と会わずに済ませるための工夫

最近では郵送やオンラインでのやり取りを極力活用するようにしている。相続人が遠方に住んでいたり、顔を合わせたくない場合でも、手続きは進められる。郵送にすると時間はかかるが、その分心理的なハードルは下がる。直接話すよりも書面でなら話が通る人もいる。工夫次第で、人と関わる痛みを最小限にできる。

最終的には粘りとタイミング勝負になる

相続登記は、最後は“粘りとタイミング”。怒らせないギリギリの距離感で、かつタイミングよく連絡を取る。相手の都合も、気分も、季節すら読みながら動く必要がある。まるでピッチャーが配球を考えるような感覚だ。打たれるリスクもあるけど、三振を狙って投げる。それができたとき、地味だけど心の中でガッツポーズが出るのだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓