タイムカードがあったら何時間働いたことになるのか考えると少し泣けてくる

タイムカードがあったら何時間働いたことになるのか考えると少し泣けてくる

気づけば今日もタイムカードはないまま夜に

地方の司法書士事務所で一人事務員を抱えながら働く私は、タイムカードの存在を忘れて久しい。というより、そもそも最初からなかった。事務員さんは9時から17時まできっちり時間通り。彼女が帰った後、私はまだ何件かの書類を机に広げている。外はすっかり暗くなっているのに、事務所の中だけは白々と明るい。この時ふと思う。「俺、今日は何時間働いたんだ?」時計を見るとすでに20時。時間の感覚はとっくに麻痺している。

時計を見て驚くのは日常茶飯事

最近では「時間を確認する」ことが驚きに変わった。昼飯も取らずに登記書類とにらめっこしていたある日、ふとスマホを手に取ると15時半。午前中の感覚のまま仕事していた自分に驚いた。若い頃は「気づいたらこんな時間かよ〜」と笑っていたが、今は違う。「やばい、まだこれしか進んでない」と背中が重くなる。疲れが抜けない年齢になってきたのだ。

朝9時に始めたはずなのに

朝9時から仕事を始めたはずなのに、午前の記憶があやふやになることがある。電話対応、来所者対応、細々した依頼の整理に追われて、書類に手を付けたのは11時過ぎ。そこから集中できたのはせいぜい2時間。それでも「今日は朝から頑張ったな」と自分を励ます。タイムカードがあったら、きっと「実働時間」に愕然とするだろう。

気づいたら19時 でも終わってない

そしていつの間にか夜。事務員さんはとっくに帰宅し、誰もいない事務所に一人だけ。外からは虫の鳴き声が聞こえるようになった。「もう19時か、今日はここまでかな」と思いつつ、気になる依頼書に目が行く。手を出してしまう。結局20時半。中途半端に終われない性格が、この生活を長引かせているのかもしれない。

そもそも自分の労働時間って誰が把握してるのか

会社勤めであれば、管理システムがあり、勤怠記録があり、上司がいて、チームがいて、誰かがあなたの働きぶりを見てくれている。でも、個人事業主は違う。誰も見ていない。労働時間を記録しているのは、自分の体力と睡眠不足の度合いだけだ。だからこそ、自分で自分を律しなければならない…と言いたいが、それが難しいから困っている。

自営業だからこその曖昧さ

司法書士は「仕事を受ければ収入になる」職業だ。だからこそ、仕事を断ることに罪悪感を覚えるし、働いた時間に見合うかどうかの計算もしなくなってくる。「この案件、20分で終わるだろう」と思っていた仕事が、想定外のトラブルで2時間かかる。料金は変わらない。誰に文句を言うこともできない。その積み重ねで、時間の感覚がぼやけていく。

勤怠管理がない働き方の不自由さ

「自由な働き方」に憧れて独立したはずなのに、実際には自分を縛るものが増えた気がする。決まった退勤時間がないということは、終わりの線引きができないということ。自由とは責任の裏返しであり、際限なく働いてしまう。気づけば、「自分を管理する能力」こそが一番の必須スキルなのではと痛感する。

「終わるまでが仕事」という呪い

「途中でやめると気持ち悪い」と思ってしまう性格のせいで、ズルズルと作業が長引く。登記の一連の作業も、区切れば明日できるのに「今日中にやっておかないと不安」と考えてしまうのだ。元野球部時代、「最後まで走り切れ」という指導が染みついてしまっているのかもしれない。いい加減、休むことも“スキル”として身につけたい。

事務員さんには定時があるという現実

私の事務所には、一人の事務員さんがいる。ありがたい存在であり、彼女がいてくれるから事務所が回っている。でも、彼女には定時がある。17時には帰る。対して私は、そこからが本番のような時間帯に突入する。見送るたびに、自分の“労働の曖昧さ”が浮き彫りになる。

帰る人を見送る背中に漂うむなしさ

「お疲れさまでした」と言って帰っていく事務員さんの背中を見ながら、私は「いいなあ」と呟く。別に彼女の生活が楽だと思っているわけではない。ただ、「区切りがある働き方」が少しだけ羨ましいのだ。自分にはもう、その境界線がない。

「お先に失礼します」になんと返せばいいのか

いつも「はい、お疲れさまでした」と返しているが、正直言ってその一言を発するたびに、自分の孤独が際立つ。事務所に残るのは私だけ。冷蔵庫には昨日のコンビニ弁当がひとつ。結婚していたら、誰かが待っていてくれるのだろうか。そんなことを考えながら、椅子に深く座り直す。

タイムカードがあれば救われるのか

結局、何が言いたいかというと、「自分の働きを誰かが記録してくれている」という感覚が欲しいのだ。報酬ではなく、時間の証明。もしもタイムカードがあったら、どんな時間のグラフになるのだろう。もしかしたら、それを見て「自分、よく頑張ってるな」と思えるのかもしれない。

働いた証を目に見える形で残したい

私たちの仕事は、成果が出るまでに時間がかかる。しかもその成果は、依頼人にしか見えない。だからこそ、自分の努力を記録する「何か」が欲しい。タイムカードはその象徴だ。実際に打刻することはないが、1日の終わりに「今日は9時間働いた」と自覚できれば、それだけで気持ちが違う。

自分を労う習慣を持つことの大切さ

本当は、他人が見てくれなくてもいい。自分自身が、「お前、よくやったよ」と言ってあげられるかどうか。そう思えるために、私はときどき紙に1日の仕事時間をメモするようにしている。タイムカードではないけど、自分なりの“労働の証”。それだけでも、少しだけ心が軽くなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。