オンライン申請が止まった日申請も心も動けなかった
朝から準備万端のはずだったのに
その日は、前日のうちに書類の準備をすべて終えていた。久しぶりに「完璧なスタートだ」と自信を持って始めた朝だった。事務員さんも「今日は早く終わるかもしれませんね」と笑っていた。なのに、その期待が音を立てて崩れたのは、オンライン申請の画面が真っ白になった瞬間だった。ぐるぐる回る読み込みアイコン。それが何よりも絶望的だった。まるで準備の意味をすべて否定されたような気持ちになった。
書類は整ったあとは送るだけの状態
全ての書類はチェック済みで、あとはシステムにアップロードするだけだった。オンライン申請は、手間の削減にもつながるし、時間短縮にもなる。そう信じて疑わなかった。紙の申請書を手に法務局へ出向いた日々が遠い過去に思えるほど、今では申請業務の中心をオンラインが担っている。しかし、だからこそ「送れない」という事態は致命的だ。書類が整っていようが、ネットの向こうで受け手が沈黙しているなら、こちらは何もできない。
これが今の業務効率化の象徴かと思っていた
正直な話、オンライン申請の導入には最初こそ戸惑ったが、慣れてしまえば便利な面も多い。紙の束を抱えて移動しなくていいし、誤字脱字の修正も容易だ。業務効率は上がった、はずだった。でも、その「効率」は、システムが動いていて初めて成立するものだったと気づかされた。便利さは、脆さの上に成り立っている。
まさかの「接続できません」で全てが止まる
画面に表示された「現在アクセスが集中しています」という文字。心が一気に冷える。「またかよ」と思わず声に出してしまった。年に数回ある、オンライン申請システムのサーバーダウン。何度経験しても慣れることはない。自分の力ではどうにもならない時間が、ただ過ぎていく。焦っても、何も変わらない。
事務員さんの「まだですか?」が刺さる
事務員さんが遠慮がちに「まだですか?」と聞いてきた。責めているわけではないのはわかっている。でも、その一言が鋭く刺さる。「待ってるだけです」と返すのが精一杯だった。こんな時こそ、頼れる上司でありたいのに。情けないが、それが現実だった。
冷や汗だけが進んでいく午前中
申請が進まないのに、時間だけは無情に流れていく。頭では「仕方がない」と理解していても、心は納得しない。次第に手は冷たくなり、体は汗ばみ始める。PCの前に座っているだけなのに、ものすごく疲れる。画面を凝視しても状況は変わらない。自分の存在が空気のように感じられる時間だった。
更新ボタンを何度押しても変わらない現実
まるで呪文のようにF5キーを押し続けた。「そろそろ直ってるかも」そんな淡い期待を抱いて何度もページを更新する。だが、画面は沈黙を貫く。もう10分、いや20分は経っている。業務が進まない焦りと、何もできないもどかしさ。やがて、その更新ボタンすら押す気力がなくなっていく。
ネットのせいかサーバーのせいか自分のせいか
こういうとき、必ず頭をよぎるのが「もしかしてうちだけ?」という疑念。ネット回線の確認をして、別の端末でもアクセスを試す。結局どれも同じ結果で、ようやく「これはサーバー側の問題だ」と確信する。でもその確認作業自体が無駄な時間だったとわかると、さらに落ち込む。まるで自分が間違っていたような、虚しい気持ちになる。
クライアントに遅延を伝える気まずさ
一番困るのが、依頼者への報告だった。「すみません、システムトラブルで…」と言うしかない。でも相手には関係のない話。書類が届くか届かないか、それだけが問題なのだ。こちらの事情を長々と説明したところで、信頼が回復するわけでもない。こういう時、自分がただの“伝達役”であることを痛感する。
システムが進化してもストレスは残る
便利になったはずのものが、別のストレスを生んでいる。紙の時代には、手間はかかっても「自分でコントロールできている感覚」があった。今は、見えないどこかのサーバーに人生を握られているような気分だ。最新のシステムが、心の余裕を奪っていく。
紙だった頃のほうがマシに思える瞬間
昔、法務局の窓口で待たされてイライラしたことがあった。あのときは「オンライン化が進めばいいのに」と本気で思っていた。今、そのオンラインの向こうで止まったままの申請を見ながら、「あの頃の方がまだマシだったかも」と思っている自分がいる。皮肉なものだ。
「便利」の裏にある落とし穴
技術が進んで、業務はスマートになった。でもそれと引き換えに、何かを失った気がする。突発的なトラブルに対して、人間側が無力になったという事実。それを受け入れないと、この仕事は続けていけない。だから、毎回ひとつ深呼吸して、気持ちを切り替えるしかない。
こんな時に限って他の案件も動く
「今は勘弁してくれ」と思っても、現実は待ってくれない。止まっているのは申請画面だけで、電話は鳴るし、メールも届く。連鎖的に発生する対応の嵐。まさに、最悪のタイミングで他の火種が燃え始めるのだ。
電話とメールが鳴りっぱなし
普段は静かな事務所が、なぜかこの日に限ってバタバタし始める。書類の確認依頼、急ぎの相談、果ては昔の案件の問い合わせまで。すべてが「今でなくても…」と思う内容。でも、対応せざるを得ない。タイミングの悪さは、もはや才能の域に達していた。
一人事務所の限界を思い知る
こういう日があると、一人事務所の脆さを実感する。事務員さんがいるとはいえ、最終的な判断や対応はすべて自分。誰にも振れない、頼れない。頼まれて、背負って、沈んで、それでも前に進まなければならない。この繰り返しが、たまに嫌になる。
「まだですか?」の二度目は効く
再び事務員さんの「まだ繋がりませんか?」の一言。声にトゲはない。むしろ心配してくれているのは伝わる。でも、それが優しければ優しいほど、自分の無力さが浮き彫りになる。「もうちょっと待って」と返しながら、心の中では「もう嫌だ」と叫んでいた。
それでも日常は戻ってくる
午後3時を回ったころ、突然オンライン申請画面が動き出した。まるで何もなかったかのように、スムーズに処理が進む。さっきまでの騒動は、幻だったかのように。気持ちの切り替えも追いつかず、ただ無言で作業を進める。
午後になって何事もなかったように復旧
申請が完了すると、あっさりと「完了しました」の画面が出た。その表示を見るたびに、「いや、完了までにこっちは何回ため息ついたと思ってるんだ」とつっこみたくなる。あまりに事務的なその一言が、妙に空虚だった。
黙って進めることしかできない仕事
司法書士という仕事は、何かと不安定な要素を内に抱えている。それでも、ミスなく確実に、という期待に応え続けるしかない。トラブルがあろうと、感情が揺れようと、結局やるべきことは変わらない。だから今日も、何もなかったような顔をして申請を続ける。
同業の皆さんもこんな日ありますか
同じような経験をした方がいたら、心から握手したい。愚痴を言い合いたい。独りで抱えるには、ちょっと重い現実が、司法書士の日常には転がっている。「なんで今日に限って…」そんな気持ちを誰かと共有できたら、少しだけ救われる気がする。
IT化の波に溺れないようにするには
結局のところ、どれだけ技術が進んでも、人間が対応できる部分を持っておくことが大事だと痛感する。代替手段、気持ちの切り替え、冷静な判断。それがなければ、システムに心を持っていかれてしまう。柔らかい頭と、深い呼吸。それが司法書士の新しい武器かもしれない。
「あるある」で終わらせたくない
この出来事を「よくあること」で終わらせてはいけない。どこかで「改善できること」があるかもしれないし、少なくとも「気持ちを共有する場」は必要だ。いつも通りの一日が、少しだけ違った。その違いを言葉にしておくことに、きっと意味があると思いたい。