登記のプロだけど人間関係は難しい
司法書士という職業柄、証書や書類の読み解きには慣れています。登記の内容を正確に把握し、漏れなく処理することには自信があります。けれど、それとは対照的に、人の感情や空気を読むことにはとても疎い。特にお客様のちょっとした表情の変化や、同僚との気まずい空気を読み損ねることも多々あります。正しさを追求する職業であるがゆえに、つい白黒はっきりさせたがり、人の心のグラデーションには鈍感になっているのかもしれません。
完璧な書類でも救えない気持ち
昔、相続登記のご依頼で来られた年配の女性がいらっしゃいました。提出された書類はすべて揃っていて、形式上は何の問題もありませんでした。でも、帰り際にふと「これで本当に終わったんですね」と寂しそうに言われたのが今も心に残っています。私の中では「手続き完了」として処理していましたが、その方にとっては大切な誰かを見送った人生の一区切りだったのです。書類上は終わっていても、気持ちの整理は別なのだと気づかされました。
法律に強い自分が感情に弱い理由
法学部を出てからずっと法律の世界に浸かってきた自分にとって、証拠や形式こそが「正しさ」でした。ところが、現場ではそうした理屈だけでは通じない場面が多くあります。泣きながら来所される方、言葉に詰まる方、その沈黙の意味を察する力が自分には足りないと痛感します。法的には正しくても、相手にとっての「納得」や「癒し」が伴わなければ、いい仕事とは言えないのではないかと思うようになりました。
お客様の心の声に気づけなかった日
ある時、住宅ローンの抵当権設定でお会いしたご夫婦がいました。奥様が終始無言で、何か違和感を感じつつも、私は予定通り手続きを進めてしまいました。数日後、夫の単独名義だったことに不満を感じていたと知り、もっと丁寧に気持ちを聞いていれば…と後悔しました。司法書士という立場に甘えて、事務的に処理してしまった自分を恥じました。書類の裏にある感情を無視してはいけないと学んだ一件でした。
仕事の正確さと人間らしさのジレンマ
司法書士として正確な処理を行うことは当然の責任です。でも、正確であろうとすればするほど、人間味のあるやりとりが損なわれるような気がしてなりません。時間内に何件こなすか、どう効率を上げるかという日々の業務の中で、「心に寄り添う」なんて綺麗事のように感じてしまうこともあります。でも、それでいいのか?と自問自答することも少なくありません。
業務を優先しすぎてすれ違う日常
事務員とのやりとりでも、業務の効率を重視するあまり、言い方がきつくなってしまったり、雑談を無視してしまったりすることがあります。ある日「先生ってほんと仕事以外の話しませんよね」と苦笑いされた時、少し胸が痛みました。相手の気持ちに気づく余裕もなくなっている自分がいて、それは決していいことではないと反省しました。気遣いもまた、プロの一部なのかもしれません。
登記完了の通知メールに添えた一言の重さ
最近では、完了通知のメールに一言添えるようにしています。「お疲れ様でした」「大変な中ご準備いただきありがとうございました」といった言葉ですが、それだけで「気持ちが軽くなりました」と言ってもらえることもあります。結局、必要なのは完璧な書類だけではなく、心に届く小さな一言なのかもしれません。人の心には登記事項証明書は存在しませんから。
机の上は整っているのに心の中は乱雑
デスクの上は常に整頓され、書類はファイルごとに分類されています。でも、心の中はぐちゃぐちゃです。仕事のこと、将来のこと、人間関係のこと。整理整頓は得意でも、気持ちの整理には時間がかかります。特に一人事務所では、誰かに話すことも少なく、悩みが溜まっていく一方です。見た目は冷静でも、内面は迷いや孤独に満ちています。
誰にも見せない「本音の書類」
毎日お客様の「戸籍謄本」や「登記識別情報」を見ていると、形式は違えど、誰にでも履歴があり、人生があるのだと実感します。けれど、自分の「本音の履歴書」は誰にも見せていません。たとえば、「最近誰ともちゃんと話してない」とか、「このまま年だけ取るのか」とか。そうした感情をどこかで共有したいと思いつつ、司法書士という肩書がそれを許さない気がして、つい隠してしまいます。
愚痴を言える相手がいない孤独
昔は野球部の仲間と飲みながら愚痴を言えた。でも今は、愚痴を言う場も相手も少なくなりました。事務員には言えないし、同業者にも弱音は吐きづらい。SNSに書けば軽率と思われるし、結局自分の中に溜め込むしかない。そのせいで、たまに突然怒りっぽくなったり、落ち込んだりすることもあります。誰かにただ「わかるよ」と言ってもらえるだけで救われるのに。
事務員さんの小さな気遣いに救われる瞬間
ある日、机にそっと置かれたコンビニのおにぎりに「今日はお昼行けなさそうだったので」とメモが添えられていました。涙が出そうになりました。気を遣わせてしまった自分にも反省しましたが、その優しさに救われました。言葉にしなくても、誰かが見てくれている。それだけで、また頑張ろうと思えるのです。
元野球部の声の大きさが空回りするとき
「声が大きいだけじゃ伝わらないよ」と、以前友人に言われたことがあります。学生時代は、声を張り上げれば伝わった。でも今は違う。仕事でもプライベートでも、相手の声に耳を傾けることの方が大切だと、やっと気づいてきました。元気そうに見えても、実は疲れている人がいる。声のボリュームではなく、心のトーンに敏感でありたい。司法書士として、人として、そうありたいと思っています。
心の未登記をどう扱うか
証書は正確に読み取れる。でも、誰かの心の中には「未登記」のままの感情がある。悔しさ、寂しさ、不安。それらは登記できないし、証明もできない。でも、確かにそこにある。そうした感情とどう向き合うかが、これからの司法書士にとっての課題なのかもしれません。単なる手続き屋ではなく、「人と関わる専門職」として、心の未登記と向き合う覚悟が求められているように感じています。
他人の気持ちは法務局に提出できない
依頼人の「納得してない気持ち」や「言い出せない疑問」は、登記申請書に添付できません。けれど、それらを置き去りにしたまま手続きを終えることに、だんだん違和感を覚えるようになりました。私たちは誰のために登記をしているのか。誰の不安を解消するための仕事なのか。そう考えると、感情を無視することは、職務の一部を放棄しているのではないかと思うようになりました。
気持ちの整理には法定相続情報も使えない
法定相続情報一覧図は便利です。でも、家族の確執や故人への複雑な思いまでは反映されません。たとえば、絶縁状態の兄弟と顔を合わせずに済ませたいという依頼者の声。そういう感情的な部分に、私たちはどう寄り添えるのか。「書類通りにやります」では済まされない場面があるのです。法では測れない部分に向き合うには、人間力が問われます。
目に見えないことに価値を置く訓練
登記事項証明書には「住所」「氏名」「持分」が載っています。でも、そこに載らない「想い」や「葛藤」も確かに存在します。最近は、事前面談で少し時間をかけて話を聞くようにしています。そこからわかることが、本当に多い。数字や言葉だけではない情報を感じ取る訓練を、今ようやく始めたような気がします。
だからこそ必要な「聞く力」
私たち司法書士に必要なのは、書類を読む力だけではなく、話を聞く力、心を察する力です。それがないと、どれだけ正確な登記をしても、相手には「冷たい事務処理」としか映らないかもしれません。逆に、少しでも気持ちに寄り添えば、感謝の言葉や、次の依頼につながることもあります。聞く力は、実は一番のスキルかもしれません。
優しい司法書士であるために
私は元々、仕事に関しては「正しさ」ばかりを追ってきました。でも最近は「優しさ」も同じくらい大事だと感じています。それは弱さではなく、相手に歩み寄る姿勢のこと。事務所の看板に書くことはできないけれど、目に見えない「優しさ」こそ、司法書士の信頼を支える柱だと思うようになりました。
登記完了よりも大切なこと
登記完了は大事です。でも、それ以上に「頼んでよかった」と思ってもらえることの方が、私にとっては大切になってきました。書類の世界に生きているからこそ、心のやりとりを大事にしたい。証書には詳しくなった。でも、人の心には、まだまだ未登記のまま。少しずつ、そこに寄り添っていけるような司法書士でありたいと思っています。