業務完了よりお疲れ様が欲しいだけなんです

業務完了よりお疲れ様が欲しいだけなんです

無言の報告メールに感じる寂しさ

「完了しました」だけがポンと送られてくる。通知音が鳴り、スマホを見て、確認して、そっと画面を閉じる。たしかに仕事は終わっている。でも、なんというか、こっちの気持ちは終われないままだ。業務が片付いたという事実だけがそこにあり、人としてのつながりのようなものはどこかへ消えてしまったように思える。これは、ただの愚痴かもしれない。でも一人で事務所を回していると、そういう「ちょっとした言葉」が、思っている以上に心を支えてくれていたんだと気づく。

仕事は終わったでも気持ちは終わってない

司法書士の仕事は、期限も多いし、責任も重い。今日も朝から登記書類のミスがないか確認し、法務局に電話を入れ、午後からは相談者との面談、そして夕方には決済の立ち会い。帰ってきたら、「終わりました」の一言だけのメールが事務員から届いていた。別に間違ってはいない。でも、なんだか気持ちが浮かばない。頑張ってくれたことはわかっている。だからこそ、「お疲れ様でした」の一言があるだけで、お互い少し救われるんじゃないかと思ってしまう。

事務員の一言が救いになることもある

先月、忙しさのピークでヘトヘトになっていた日、事務員がポツリと「先生も今日は大変でしたね、お疲れ様です」と言ってくれたことがあった。その一言が、その日一番心に残っていた。書類の山や電話対応の苛立ちも、その一言でふっと軽くなる気がした。たったそれだけで、人は元気になるし、明日もがんばろうと思える。事務所は機械じゃない。人がいて、気持ちがあって、働いている。それを忘れたら、どんなに効率が良くても息苦しくなる。

司法書士の仕事は数字だけじゃない

「何件処理したか」や「どれだけ早く対応したか」ばかりが評価の基準になることが多い。でも、本当にそれだけでいいのかと疑問に思うこともある。人と人とのやりとりの中で、大事なのはそこじゃない気がしてならない。事務所という小さな空間だからこそ、目には見えない気遣いや、心のやりとりを大事にしたい。それが結局、依頼者との信頼や、職場の雰囲気に繋がっていくと思うのだ。

報告主義が心をすり減らす

「報告しました、完了です、以上」――そんなやりとりが続くと、こちらの心もどこか機械的になっていく。何も返ってこないことに慣れれば、言葉を発することさえ億劫になる。僕はもともと寡黙なタイプじゃない。高校の野球部では声を出すのが仕事だった。ピッチャーだったけど、ベンチの雰囲気をつくるのもチームワークの一部だと教わった。なのに、今はそれを忘れてしまいそうになるほど、静かだ。

スピード重視が生む人間関係の欠如

業務効率を優先するあまり、「いかに早く完了するか」だけが目的になってしまっていないだろうか。時間は有限だし、遅れれば信用にも関わる。でも、「ありがとう」「お疲れ様」の一言が消えてしまうようなスピードは、逆に生産性を下げると思う。人とのつながりがある職場こそ、結果的に安定した仕事につながるというのが、僕の実感だ。

昔の職場の方がまだ温かかった

新人の頃に勤めていた小さな事務所では、上司も先輩も、どんなに忙しくても「ありがとう」「助かったよ」と声をかけてくれた。その文化があったからこそ、多少のミスも前向きに受け止められたし、安心して働けた気がする。今の自分の事務所には、その温かさを残せているのか。そんな問いが頭をよぎる日がある。

地方で働くという孤独感

都市部と違って、同業者との横のつながりも希薄だ。近くに同じような仕事をしている人も少なく、ちょっとした愚痴をこぼす相手すらいない。仕事が終わっても、誰かと飲みに行くこともなく、一人でコンビニ弁当を食べながらテレビの音を聞いている。そんな夜が当たり前になって久しい。

仲間がいないと気持ちの吐き出し先もない

例えば、行政書士さんや弁護士さんと連携する場面でも、「あの件、ありがとうございました」とか「大変でしたね」と言葉を交わせるとホッとする。逆に、淡々と書類だけのやりとりだと、どこか虚しい。気持ちのやりとりがないと、自分の存在が誰にも認識されてないような、そんな錯覚にすら陥る時がある。

元野球部のノリはどこに行ったのか

高校時代、どんなにしんどい練習の後でも「ナイスプレー」「お疲れ」が飛び交っていた。それがあったから、翌日もグラウンドに立てた。今、ふとその頃の感覚を思い出すことがある。あの頃の「声」が、今の自分の中ではどこか消えてしまっている。でもきっと、職場にもあの時のような声かけが必要なんじゃないかと思う。

雑談すら生まれない日々

最近は事務員とも、業務連絡以外ほとんど話をしない日が増えてきた。雑談なんてしている暇はない、と思っていたけど、少し寂しい気もする。たった一言の会話が、空気を和らげることもあるのに、それを遠ざけていたのは自分だったのかもしれない。

気遣いのひと言が働き方を変える

司法書士として独立して数年、いろんな意味で効率を求めてきた。でも最近、それだけじゃ限界だと感じている。人と人が関わる以上、気持ちのやりとりは無視できない。むしろ、小さな気遣いが、大きな安心感を生む。業務完了の報告も大事だけど、それよりもっと大事なのは、その先にある「人」の存在だ。

たった三文字に救われることもある

「お疲れ様」この三文字だけで、どれだけの気持ちが伝わるだろう。どれだけの重荷が軽くなるだろう。それは、お金にも、数字にも表せない価値だ。司法書士という仕事は、感謝されることもあるけれど、同時に孤独な仕事でもある。だからこそ、身近な誰かのひと言が、何よりの報酬になるのだ。

業務効率よりも感情効率を

業務の流れを最適化するのも大切だけど、それ以上に「働く人の気持ち」を見失わないことの方が、長期的には重要だと思う。たった一言でチームの雰囲気が良くなり、依頼者にも伝わる。効率を追うあまり、感情が置き去りになってはいないか、常に問い直したい。

ありがとう文化の再構築を目指して

小さな事務所だからこそ、「ありがとう」「お疲れ様」が飛び交う場所にしたい。それは、決して特別なスキルではなく、ちょっとした意識の変化でできること。今日も、たった一言「お疲れ様」と声をかけてみよう。自分にも、相手にも、きっとその言葉は響くはずだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓