余裕がないときほど優しくなれない
「優しくありたい」と思っているのに、忙しさや焦りでピリピリしてしまう日がある。そんな日は決まって、誰かに冷たい言葉をぶつけてしまったり、返事も雑になったりして、帰ってから自己嫌悪に陥る。私自身、司法書士として日々の業務に追われながら、「このままでいいのか」と思うことが多い。優しさって余裕から生まれるんだな、と痛感する。
気持ちと行動がチグハグになる瞬間
頭の中では「ありがとう」や「大丈夫だよ」と言いたいのに、口から出てくるのは「急いでますから」とか「後にしてください」といった言葉ばかり。心の余裕がないと、優しさの回路が詰まってしまうような感じがする。昔、野球部でキャプテンをしていた頃、後輩のミスに怒鳴ってしまって後悔した夜を思い出す。その時も、本当は「気にするな」と言いたかった。
朝からプリンターが紙詰まりした日
ある日、朝からプリンターが紙詰まりを起こした。登記の書類を急いで印刷しないといけなかったのに、機械はうんともすんとも言わない。イライラして、事務員さんに「これ、何回詰まってるんですか?」と少し強めに言ってしまった。彼女は謝りながらも、ちょっと悲しそうな顔をしていた。あのとき、余裕があれば一緒に笑い飛ばせたかもしれない。
「全部自分が悪い気がしてくる」思考の罠
帰宅してひとりになったとき、「なんであんな言い方しちゃったんだろう」と反省ばかりしてしまう。そして、なぜか全部が自分のせいに思えてくる。ミスも空気の悪さも、すべて自分が原因のような気がして、どんどん落ち込む。けれど、最近は「人間だから、そんな日もある」と思えるようになってきた。それもまた、優しさの一部かもしれない。
自分のことで精一杯な日々
仕事が山積みで、目の前のことをこなすのに必死なとき、人のことなんて考える余裕がない。そういう自分を責めるけど、そもそも一人事務所で司法書士業を回しているんだから、いっぱいいっぱいなのは当然だ。優しくしたくても、まずは自分の心のガス欠をどうにかしなければ動けない。
仕事の山と事務員とのすれ違い
とにかく毎日が時間との勝負。依頼が増えるのはありがたいけど、書類作成や相談対応が重なると余裕を失う。そんなときに限って、事務員さんとの連携もうまくいかなくなる。「それ、前にも言いましたよね?」ときつめの言い方になった日もある。別に怒ってるわけじゃない。でも伝え方って、余裕の有無でこんなにも変わるんだと痛感する。
昼ご飯のタイミングすらバラバラな日
一度、忙しさに追われすぎて昼ご飯を16時に食べた日がある。そのとき、事務員さんが何も食べずにずっとデスクに座っていた。「さっきお昼行きました?」と聞くと、「いえ、タイミングがなくて…」と。自分のことばかり考えていたな、と反省した。小さなことだけど、声をかける余裕もない自分に気づく瞬間だった。
ひとこと声をかける余裕がなかった
「大丈夫ですか?」の一言があれば、きっとあの空気は和らいだ。でもその一言が出てこないくらい、自分の心がいっぱいいっぱいだったのだろう。優しさって、大きなことじゃなくて、そんな小さな気づきの積み重ねなのに。それすらできなかった日、自分の未熟さにただ落ち込んだ。
それでも人に優しくしたいと思ってしまう
不思議なもので、優しくできなかった日ほど、翌日「誰かのために何かしたい」と思うことがある。たとえば、事務員さんに缶コーヒーを差し入れしたり、ちょっとした雑談に耳を傾けたり。自分がダメだったと感じた分、取り戻そうとする心が働く。たぶんそれって、人間として自然な感情なんだと思う。
「こんな自分でも誰かを大事にしたい」
どんなに余裕がなくても、やっぱり誰かを大事にしたいと思う気持ちは消えない。「自分はもうだめだ」と感じた夜でも、翌朝、ちゃんと「おはようございます」と笑顔で言えたら、それだけで少し救われる。優しさは完璧じゃなくていい。毎日じゃなくていい。だけど、根っこに「大事にしたい」がある限り、それは確かに優しさなんだと思う。
昔の部活の後輩にかけた言葉を思い出す
高校時代、ミスをして泣いていた後輩に「お前がいないと勝てねぇよ」って言ったことがある。普段は怒ってばかりだったけど、そのときだけは本音を出せた。今思えば、あの言葉があったから彼は立ち直れたのかもしれない。自分が誰かを励ませた記憶があるからこそ、また誰かに優しくしたいと思える。
優しさとは常に与えることじゃない
人に優しくするって、いつも何かを与えることじゃない。時には踏ん張って、ただ一緒にいるだけでも、それが支えになることがある。自分に余裕がなくて優しくできなかった日も、無意識のうちに誰かが救われていたかもしれない。だから完璧じゃなくてもいい。続けていこうと思うだけで、きっと意味がある。
優しくできない日を責めすぎないために
どんなに努力しても、毎日優しくなんてなれない。それでもいいじゃないか。そんな日があったからこそ、次に優しくできたとき、その価値がわかる。私はそうやって、自分を責めすぎないようにしている。
まずは自分自身への休憩を
心に余裕がないと感じたら、まずは深呼吸する。誰にも会わず、何も話さず、好きな音楽を流す時間が必要だ。最近は、昭和のバラードを小さな音で流しながら、書類整理をするのがちょっとした癒やしになっている。休憩って贅沢じゃなくて、生き延びるための最低限の栄養だ。
誰にも会いたくない夜の使い方
たまには、何も考えずにお風呂に入って、スマホの電源を切る夜があってもいい。誰かと連絡を取らなきゃ、何かを発信しなきゃという焦りから離れる。私のような独身男にとって、孤独な夜はよくあることだけど、それを「贅沢な静けさ」と思えると、少しだけ前向きになれる。
明日は今日より少しマシかもしれない
今日は余裕がなかった。でも明日は少し笑えるかもしれない。そんなふうに思いながら、寝る前に「ごめんね」と「ありがとう」を自分に言ってみる。それだけで、次の日の自分がちょっとだけ優しくなれるような気がする。完璧じゃなくてもいい、続けることが大事だと思いたい。