区分所有建物の違和感
梅雨明け目前の蒸し暑い午後、不動産会社の担当者が突然やってきた。話を聞くと、とある中古マンションの売買に関して登記簿に不審な点があるという。登記簿に記載されているはずの共有部分が、なぜか記録に存在していないのだ。
「登記されてない?共有廊下が?……まさかね」私は書類を見ながら首をかしげた。だが、それは見間違いや打ち間違いではなかった。実在する廊下が、書面上は“存在していない”ことになっていた。
不動産会社からの奇妙な相談
相談に来たのは、地元では名の知れた不動産会社の若手社員だった。どうやら買主が住宅ローンの審査で躓いており、金融機関の調査で「物理的に存在する通路が登記されていない」と判明したらしい。
「ちょっとした記載漏れじゃないですか?」と若者は軽く言うが、私は冷や汗をかいた。共有部分が未登記となれば、それはもう“ちょっとした”では済まされない。権利関係の根幹が揺らぐ。
マンションの最上階にて
現地を訪れると、問題のマンションは築40年ほどの鉄筋コンクリート造だった。エレベーターで最上階へと向かう。上がってすぐに目についたのは、明らかに他の階とは異なる、薄暗い通路だった。
通路の先には扉があり、鍵がかかっていた。掲示板もなく、誰かが住んでいる気配すらない。「ここって、誰の所有なんですか?」と私が聞くと、管理人は曖昧に笑って首を振った。
登記簿に載らない部屋
通路の奥の扉を叩いても反応はなかった。不在というより“無人”の雰囲気が漂っていた。だが、どう見てもその部屋は他の部屋と同じ造りで、生活の痕跡は微かに感じられた。
事務所に戻って登記簿を調べても、その部屋に該当する記録は見当たらなかった。図面では存在しているのに、登記には記載されていない。存在しているのに、記録がない。そんなことが本当にあるのか。
サトウさんの冷静な推理
「おかしいのは部屋じゃなくて、廊下の方です」ファイルを見ていたサトウさんが言った。図面の共有通路と、現地の廊下の幅が一致していないのだ。現場は明らかに図面より広い。
「つまり、その“広がった分”が未登記なんですね」彼女はさらりと言った。地積測量図と見比べると確かに拡張されている。どうやら過去に無断で通路が改築され、その部分の登記がなされなかったらしい。
図面と実地が一致しない理由
確認すると、その改築は20年以上前、管理組合の了承もなく勝手に行われたものだった。しかも、それがいつの間にか“当たり前の共有部分”として機能していた。
やれやれ、、、これじゃあまるでサザエさんの花沢不動産がミスしたみたいじゃないか。頭を抱えたくなるような杜撰な管理の末に、闇に葬られた空間ができあがったというわけだ。
隠された区画と過去の事故
さらに調査を進めると、その未登記部分に面した部屋で、かつて火災があったことがわかった。原因は電気系統の不備。当時の所有者は火傷を負い、やがて行方知れずとなったという。
そこから先の登記がされていないのも無理はない。管理組合も、できるだけ触れずにやり過ごそうとしていたのだろう。だが、現実はいつか帳尻を合わせにくる。
管理規約に埋もれた条項
古い管理規約には、「災害などで利用不可能となった共有部分は、管理組合の決議により廃止とする」という条項があった。誰かがこれを盾に、該当部分を“なかったこと”にしていたのだ。
だが、その実体は消えない。登記されていようがいまいが、物理的に存在する以上、そこにある責任は消えないのだ。
夜の現地調査
私はもう一度、夜のマンションに赴いた。通路には小さな明かりが灯り、風が吹き抜けていた。ひんやりとした空気のなか、かすかに足音のような音が聞こえた気がした。
「こんな時間に何やってんだか……」と、独りごちる。元野球部とは思えない鈍足で、音の主を追いかける気にはなれなかった。
廊下の先で聞こえた足音
しかしその音は、確かに通路の奥から聞こえた。そして消えていった。誰かがまだ、あの部屋に出入りしているのか?それとも……記憶の中の幻影か。
翌朝、私は管理組合に書面を送付した。共有部分の実地測量と、改めての登記申請を要請する通知だ。幽霊よりも怖いのは、こうした“書面の空白”である。
真実と責任の所在
最終的に、改築当時の管理会社が責任を認め、補完登記が行われることになった。私は関係者全員の承諾を集めるため、またあちこちを奔走する羽目になった。
「結局、私が走るんですよね……」とぼやく私に、サトウさんは「まぁ、司法書士ですから」と素っ気なく返す。
最後の一筆で謎は解ける
新たな地積測量図をもとに、補完登記申請書を作成した。登記官の印が押された瞬間、ようやく全てがつながった気がした。存在しないはずの共有通路に、正式な“記録”が与えられたのだ。
やれやれ、、、今回もまたギリギリだった。幽霊が出るよりも、書類の空白の方がよっぽど背筋が寒くなる。そう思いながら、私は静かに帰路についた。