筆圧が語る真実
司法書士という仕事は、紙とペンの世界にどっぷり浸かるものだ。書類、印鑑、署名、そして——筆跡。今日も机の上に置かれた一通の封書が、静かに僕を見つめていた。妙に重たい封筒だ。差出人の名前はなかったが、どこか陰のある文字が、僕の勘をくすぐった。
朝のコーヒーと一通の封書
朝、事務所でコーヒーをすすっていたら、その封書が届いた。配達員が去ったあと、封筒を持ち上げると、妙に分厚い。その中には、戸籍謄本、相続関係説明図、そして相続放棄申述書の写しが入っていた。だが、一つだけ明らかにおかしかった。
妙に重たい筆跡
申述書に記された署名は、まるで石を擦りつけるような筆圧だった。ボールペンのインクがにじむほど押しつけられている。書いた人物の心理状態がにじみ出るようだった。通常の署名とは何かが違う。そう、まるで「誰かになりすまそうとしている」ような。
差出人不明の依頼書
申述書の写しと一緒に入っていたのは、「筆跡の鑑定をお願いします」とだけ書かれたメモだった。依頼人の名前も連絡先もない。まるでアニメ『キャッツアイ』の犯行予告みたいに、手がかりは故意にぼかされているようだった。
疑惑の相続放棄申述書
どうにも納得がいかず、法務局で原本を確認することにした。事前に連絡を入れたところ、写しと原本の筆跡に違和感があることを担当官も感じていたようだった。そして僕は気づいた——そこにはある「矛盾」があったのだ。
署名と印鑑がずれている
署名は明らかに手書きだったが、印鑑が微妙に斜めになっていた。しかも朱肉のノリが不自然に薄い。まるで一度押したものを誰かが写し取ったような感覚。これはただの提出書類ではない、何かを隠そうとする意図が透けて見えた。
筆圧の不自然な偏り
通常、人の筆圧は一定のリズムを持つ。だが、この署名は違った。頭文字の部分だけ異様に強く、あとの文字は弱い。これは……模写だ。本物の筆跡を何度も練習した人間が、緊張の中で書いた痕跡。ああ、やれやれ、、、また厄介なことになりそうだ。
サトウさんの筆跡分析講座
こうなると、頼るべきは一人しかいない。サトウさんだ。彼女はかつて某大学の法医学ゼミで筆跡鑑定のアルバイトをしていたらしい。たまに見せるその観察眼は、まるで『名探偵コナン』の阿笠博士の助手くらいの冷静さと鋭さがある。
元刑事が教えた裏ワザ
「この筆圧、偽物ですね」とサトウさんはあっさり言った。「筆圧って、嘘がつけないんですよ。緊張すると力が入りすぎる。それに、点画の止め方がぎこちない。書道で言えば、払いが死んでます」塩対応なのに、コメントは妙に的確だった。
真偽を見抜く三つのポイント
サトウさん曰く、筆跡偽造を見抜くポイントは三つ。「字形のバランス」「筆圧のリズム」「癖字の再現性」。この三つが自然なら本人、それ以外はほぼアウト。「これ、弟さんが姉のフリして出したやつじゃないですか?」と、核心に迫る発言まで飛び出した。
登場するもう一つの遺言書
事態が動いたのはその翌日だった。今度は古ぼけた封筒に入った遺言書が届いた。差出人は不明。でも筆跡は、前の申述書と酷似していた。内容もまた奇妙だった。「財産は一切放棄する」と、まるで命令されたような口調。
全く違う筆跡なのに同じ筆圧
表面的な字形はまったく違うが、筆圧と線の癖が一致している。これはどういうことか?「同じ人が変装して書いたのかもしれませんね」と僕がつぶやくと、サトウさんはフッと笑った。「筆跡って、意外と化けられるけど、筆圧はごまかせないんです」
誰が何のために書いたのか
姉の遺産を巡って弟が偽装工作をしたのはほぼ確定だった。だが、なぜそんな手の込んだ真似を? 理由は、兄弟間でのトラブルではなく、第三者に相続権を渡さないためだった。つまり、弟にとっての敵は「他人」だったのだ。
やれやれ僕の出番らしい
司法書士という肩書きは、時に探偵のような顔も持つ。やれやれ、、、どうして僕がこんなことまで。でも、依頼があったからにはやるしかない。筆圧の情報を根拠に、家庭裁判所に異議申立ての準備を始めた。
野球部仕込みの観察眼
昔、野球部で相手ピッチャーの癖を見抜くのが得意だった。それがこんなところで役立つとは。筆圧の微妙な「立ち上がり」のタイミングを分析し、模倣された筆跡を理論的に崩す証拠資料を作成。これが決め手になった。
机の下にあった決定的証拠
封筒の中にあった下敷きにうっすら残る筆圧の痕跡。これが決定的な証拠となった。サトウさんが特殊な照明で浮かび上がらせたそれは、遺言書とは別の内容だった。「全財産は弟に」と書かれていたのだ。逆の内容だ。つまり、弟の策略だった。
真犯人の告白とその動機
後日、弟が自首した。動機は単純。「姉は自分を恨んでいた。でも、それが遺言に残るのは耐えられなかった」と。罪を犯した彼は、涙ながらに語った。だが、筆跡と筆圧は、全てを物語っていた。沈黙は、時に最も雄弁だ。
愛か金か復讐か
弟の行動は、金でも愛でもなく、ある種の「名誉」のためだったという。だが、それが姉の意思を踏みにじる結果になったのは皮肉だった。家族とは、時に最も理解しがたい他人になる——そんな現実を見せつけられた気がした。
筆圧が導いた結末
裁判所は遺言書を無効と判断した。すべては、筆圧の分析がきっかけだった。紙の上のわずかな圧力が、真実を浮かび上がらせたのだ。司法書士としての仕事は、こういう時にこそ意味を持つ。僕は静かに、机に戻った。
事件後の静けさといつもの日常
事件が終わったあと、事務所にはまた静かな空気が戻った。サトウさんは何も言わず、書類を淡々と処理している。でも、いつもよりほんの少しだけ、書類を受け取る手がやさしかった気がする。
サトウさんの無言の称賛
「珍しく役に立ちましたね」と、ぼそっと呟くサトウさん。その言葉が、妙にうれしい。いや、うれしくなんかない。……たぶん。やれやれ、、、本当に、僕はまだまだだ。
もう少しだけ、役に立てるなら
僕の仕事は地味だ。でも、こうして誰かの人生の一部を守れるなら、それでいい。うっかり者でも、最後に役に立てるなら——そんな人生も悪くない。明日も、紙とペンとにらめっこだ。