夜に浮かぶ筆跡

夜に浮かぶ筆跡

夜に浮かぶ筆跡

朝一番の訪問者

雨音がまだ残る午前九時。シャッターを上げたばかりの事務所に、黒いコートを着た小柄な老女が現れた。 彼女の手には古びた茶封筒が握られており、何かを決意したような強い目をしていた。 「公正証書について見てもらいたいんです」と低い声で言った。

依頼された謎の公正証書

封筒から出てきたのは、一枚のコピー用紙にクリアファイルが被せられた遺言書だった。 それは五年前に亡くなった夫が残したというが、記載内容に妙な点がいくつもある。 「土地をすべて弟に譲る」とあるが、生前の言動からしても明らかに不自然だ。

シンドウの違和感

「これは……」と呟きながら、俺は書面をじっと見つめた。 まず日付の位置が微妙にずれている。印字ではなく、手書きで修正された跡もある。 署名の最後の一文字が、まるで誰かの手が添えたように震えていた。

サトウさんの冷静な観察

「このインク、最近のですね」サトウさんが無表情で言った。 「加湿器の水分でちょっとにじんでます。昔の紙ならこんなに滲みません」 俺が何も言えずにいると、サトウさんはため息をついた。「で、また騙されかけたんですね?」

故人の最期と病室の謎

俺は入院していた病院に足を運んだ。 看護師によれば、故人は亡くなる三日前から意識を失っていたという。 つまり、その証書の署名日には、本人が筆を持てる状態ではなかった。

不自然な公証役場の記録

次に公証役場で記録を確認するが、その証書の台帳番号は存在しない。 「原本もありませんし、閲覧記録もゼロですね」と職員は申し訳なさそうに答えた。 つまり、これは“正式な”公正証書ではなかった。

鍵となる元看護師の証言

病院を退職したばかりの元看護師が語ったのは、衝撃的な内容だった。 「あの人、最後は筆どころか目も開けられなかったですよ」 彼女の言葉により、あの署名が本人の手によるものではないことが決定的となる。

公証人の過去と不祥事

サトウさんが調べた結果、ある元公証人の名前が浮かび上がった。 彼は過去に不適切な証明行為で処分を受けており、現在は引退していた。 そして、その人物の娘が、今回の証書に記された証人と同姓同名だった。

霊が導いた真実の在処

「ここ、引き出しの底が二重になってます」 サトウさんの一言で俺は机の底板を外した。そこには、古びた封筒と未使用の公正証書用紙。 そして、亡き夫が書いた“本当の遺言”が現れた。

サトウさんの鋭いひと言

「“誰が”じゃなくて、“誰のために”それを作ったか考えてください」 そう言われて俺はようやく気づいた。老女は“自分のため”に嘘の証書を使ったのではない。 義弟の借金を帳消しにするため、兄の名を使って遺産を回そうとしたのだ。

やれやれ、、、俺の出番か

調査結果と証拠書類をまとめ、俺は役場に再登記の申請を行った。 公正証書の偽造は犯罪だが、今回は形式ではなく“遺志”を優先するべきだと判断した。 「人の心って、法じゃ量れないんですよね」と俺はぼそりと呟いた。

正しい遺志を守るために

後日、正式な手続きを経て、故人の遺志に沿った遺産分配が完了した。 老女は深く頭を下げ、静かに「ありがとう」とだけ言った。 その姿は、まるで何かに取り憑かれていたものがようやく成仏したかのようだった。

事件の後の静けさ

午後の事務所に静けさが戻る。 だが、俺の机の上にはまだ片づいていない登記書類の山が残っていた。 結局、いつもの日常に戻るしかないのだ。

サトウさんは見ていた

「また間違えて印鑑逆に押してますよ」 冷たい視線が突き刺さる。俺は苦笑いしながら、そっと印鑑を押し直した。 やれやれ、、、今日も平常運転ってことか。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓