朝の来客
旧家の男と一通の封筒
午前9時、まだコーヒーの香りが事務所内に残るなか、分厚い封筒を抱えた老人がやってきた。無地のスーツに小さな勲章のようなバッジを付けている。話を聞くと、先祖代々の土地に関する相談だという。
封筒の中身を開くと、黄ばんだ紙が数枚。中には仮登記簿の写しらしきものが含まれていた。手書きの文字はかすれて読みにくいが、確かに奇妙な記載が目を引いた。
「お力を貸していただけますか」という老人の低い声が、妙に耳に残った。
封筒の中の写し
仮登記簿の奇妙な記載
写しにあったのは、30年前に行われた仮登記。だが、仮登記義務者の名前が現在の所有者とは一致していない。さらに、登記の目的が「使用貸借の保全」とだけ書かれているのも不自然だ。
「そもそも使用貸借で仮登記なんてするか?」と自分に問いかけながら、私はメモ帳に走り書きを始めた。何かがおかしい。だがそれが何かはまだ掴めない。
記録の字体が、どこか昔のアニメのエンディングのようにノスタルジックで、不気味でもあった。
調査のはじまり
法務局での手がかり
午後から法務局へ足を運ぶ。登記簿の原本を閲覧しようとしたが、仮登記については備考欄に転記されただけで、詳細は別冊保管とのことだった。窓口の若い職員が申し訳なさそうに「ちょっとお待ちください」と奥へ引っ込む。
10分後、出てきたファイルには旧所有者の署名があった。だが、その人物は10年前に亡くなっている。さらにその署名が、実印ではなく認印で押されていた。
「仮登記なのに認印だけ?そんな馬鹿な……」私は眉間にしわを寄せる。
サトウさんの推理
過去の登記の落とし穴
事務所に戻ると、サトウさんがすでにパソコンを叩きながら調べ物をしていた。どうやら旧所有者の娘が一度だけ登記簿上に登場していることを見つけたらしい。
「おそらく、仮登記は名義を残すためのものだったんです。使用貸借という名目は偽装かと」彼女は淡々と言い放った。私の3手先を読むその手腕には、何度も助けられている。
やれやれ、、、また彼女に先を越された。
依頼人の本当の目的
嘘の中にある真実
翌朝、再びやって来た老人は、なぜか穏やかな表情を浮かべていた。「あの仮登記、実は私の父が勝手にやったものかもしれません」とぽつりと漏らした。
つまり、他人名義にしておくことで相続争いを避ける意図があったということか。家督制度が廃れた時代でも、旧家ならではの考え方は残っていた。
だがその偽装が、結果として家族間の断絶を生んだ皮肉には、彼も気づいているようだった。
暴かれた仮登記の真相
時効を巡るトリック
仮登記から30年、主たる債権の消滅時効を盾に、今や誰も仮登記の本登記を請求できない。だが、それが意図的な放置だったならば、話は別だ。
「つまり、あなたは仮登記を利用して家族の所有権移転を遅らせたのですね?」と問いかけると、老人は静かにうなずいた。
サザエさんの波平が「バカモン!」と怒鳴るのもわかる気がした。優しさが過ぎると、かえって面倒を生む。
静かなる告白
沈黙を破った証人
意外なことに、故人の娘が遠方から訪ねてきた。彼女は30年間一度も土地に足を踏み入れなかったが、父親が手紙で真相を伝えていたという。
「お父さんはきっと、兄と私を平等に扱いたかっただけだと思います」そう言って、彼女は仮登記の抹消に同意した。
私たち司法書士は、事実に形式を与えるだけだ。でも、その形式の裏には、人間の弱さや思いが詰まっている。
シンドウの逆転
意外な一手と解決の鍵
すべての資料を整え、抹消登記を申請したとき、法務局の担当官が一言「これは珍しいケースですね」とつぶやいた。
仮登記が善意から生まれたとしても、形式的には不適切だった。しかし、家族の合意と証言が、それを覆した。登記制度は生き物だ。
こうして事件は終わった。事務所に戻ると、サトウさんが「やればできるんですね」とだけ言って席に戻った。
事件の結末
依頼人のその後
老人は土地を娘に贈与する決意をしたらしい。「いまさらですが、家族ですからね」と、彼は照れたように笑った。彼の背中が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。
登記簿の記載は一掃され、そこに残るのは新たな所有者の名前だけ。それでいて、確かにそこには過去が息づいている。
私たちは、その証人である。
静かな事務所に戻って
夕暮れ、事務所には静かさが戻っていた。窓の外では子供たちがキャッチボールをしている。元野球部の血が騒ぐが、もう腰がついていかない。
コーヒーを一口啜りながら、私は静かに「やれやれ、、、」とつぶやいた。明日もきっと、何かが起きる。
そうして、静かに今日が終わっていく。