泣き出した依頼人に言われたひとことが胸に残った
「先生、あの人…身内じゃないみたいなんです」。面談中、そう言って女性の依頼人がぽろぽろと涙を流した瞬間、こちらまで胸が詰まった。相続の相談だった。亡くなった親の財産を巡って、兄妹の関係が冷え切ってしまったという話だ。「子どもの頃は仲が良かった」と振り返るその人の目は、ただただ寂しそうで。こっちは専門職として淡々と説明すべきなんだろうけど、人間だから、どうしたって心が揺れる。
身内とは思えないと訴える人の痛み
「兄が私を無視するんです。お葬式の時からずっと口を利いてくれない」と彼女は話していた。相続の分配についての話し合いもままならず、調停か裁判か、という流れになっていた。たとえ血がつながっていても、金銭が絡むと人は変わる。その現実を何度も見てきたが、目の前で泣かれると、あらためてその残酷さに打たれる。誰かの大切な記憶が、手続きの中で崩れていく。法律では解決しても、心は割り切れない。
法的な手続きと心の溝のギャップ
たとえば遺産分割協議書。書式上は形式的なやり取りでも、そこには人間関係の歴史が詰まっている。生前どんな関わりがあったか、感情のバランスはどうか。法律は平等を求めるが、人生は不平等の連続だ。「兄は母に何もしてこなかったのに、今になって主張ばかり」と嘆く依頼人に、こちらが言えるのは法的な選択肢だけ。割り切って説明するほど、自分の言葉が空虚に響く。
他人だから割り切れるという現実
私は第三者だ。だからこそ感情を抜きにして処理できる。それがこの仕事の役割だ。でも、あまりに冷たく振る舞えば「先生も身内じゃない」と思われてしまうし、寄り添いすぎれば感情に呑まれる。そのバランスが本当に難しい。依頼人の気持ちを想像すればするほど、何も言えなくなる。「自分の家族だったらどうするか」なんて考えてはいけないのに、考えてしまう。やっぱり、自分は向いてないんじゃないか、と思う日もある。
面談中に自分が感じた居たたまれなさ
面談室の空気が一気に沈んだ時、時計の針の音すら気になるほど静かだった。泣きながらも、話を続けようとする依頼人。その姿に、私は何も言えなくなった。励ましの言葉も、法的な説明も、どれも場違いな気がして。仕方なく黙ってうなずく。無力感とともに、「自分じゃなくてもよかったんじゃないか」と思う。依頼人が必要としていたのは、司法書士ではなく、ただの“味方”だったのかもしれない。
優しさを見せたつもりが裏目に出る
少しでも気持ちを軽くしてもらおうと、柔らかい言葉を選んだつもりだった。でも「そんなこと言っても、現実は変わらないですよね」と返され、ぐうの音も出なかった。善意がすれ違うことはよくあるけれど、それが相手の心をさらに傷つけてしまうと、自分の存在意義が揺らぐ。優しさって何なんだろう。ただ寄り添うだけじゃダメで、かといって解決策ばかり並べても届かない。結局、空回りしてばかりだ。
黙って聞くことしかできない瞬間
結論として、私はその面談でほとんど喋らなかった。話を聞いて、メモを取って、最低限の確認事項を伝えて終わった。「すみません、泣いてしまって」と帰り際に言われて、何も返せなかった。あの沈黙は正しかったのか、今でもわからない。でも、あれ以上の言葉が見つからなかったのも事実だ。時には“沈黙”こそが最大の誠実なのかもしれない。そう自分に言い聞かせるしかなかった。
誰も悪くないのに誰かが泣く
相続のトラブルにおいて、加害者も被害者もいないことが多い。家族がそれぞれの正義を信じて動いているだけ。でも、その“正義”の衝突で傷つく人が必ず出てくる。法律で線を引いても、心には引けない線が残る。誰も責められないし、誰も責めたくないのに、結果として関係は壊れていく。依頼人の涙は、その無念さの象徴だった。
家庭内の対立に巻き込まれる司法書士
家族内の紛争というのは、本当に複雑だ。親子、兄弟、夫婦、それぞれの関係が絡み合い、何十年もの感情の積み重ねがある。そんな中に「先生に全部お任せします」と放り込まれても、解けるわけがない。まるで地雷原を歩くような気分になることもある。ちょっとした一言が引き金になり、こちらの意図とは無関係に爆発してしまう。怖い。けど、逃げられない。
法では解決できないものに触れてしまう
私は司法書士であって、カウンセラーではない。でも実際には、心の問題に関わらざるを得ない場面が多すぎる。法律だけでは解決できない現実が、そこにはある。とくに相続においては、“財産”以上に、“過去の感情”が問題になる。兄弟間の嫉妬、親への恩返し、後悔、罪悪感…。それらを抱えたまま面談に来る人に、私は何を差し出せるだろう。
線を引くことの難しさ
「ここまでが私の仕事です」と線を引こうとするたびに、罪悪感がよぎる。「冷たい人」と思われたくない。けど、感情に深入りすると自分が壊れる。専門職としての立場と、人としての良心のせめぎ合い。その中間に正解なんてない。私は今日も、そのどっちつかずの立ち位置で、揺れている。
野球部時代の根性が今も支えているのかもしれない
高校時代、雨の日も泥まみれになって走っていたあのグラウンド。今思えば、理不尽な練習にも意味があったのかもしれない。踏ん張る力だけは身についた。依頼人の涙を見ても、机に向かって黙々と登記を仕上げられる精神力。あの頃の自分が、今の私を支えている気がする。何も褒められない仕事かもしれないけど、今日も私はここにいる。
踏ん張る力と逃げない姿勢
心が折れそうな日も、逃げずにやり続ける。それが自分の中の“ルール”になっている。逃げ癖をつけたら、もう戻れない気がするから。誰も褒めてくれないけど、誰かの力になれるかもしれない。その希望だけが、明日の自分を支えている。もうちょっとだけ、この場所で踏ん張ってみようと思う。
誰にも頼れないからこそ負けられない
ひとり事務所、事務員ひとり。誰かに仕事を押しつけることもできない。休めば自分が損をするだけ。そんな環境に慣れてしまったけど、やっぱり孤独は堪える。だけど、負けたくない。誰に?わからない。でも、今日まで続けてきた自分にだけは、恥ずかしい真似はしたくない。
でもほんとは少しだけ誰かに聞いてほしい
誰かに「今日、依頼人が泣いてさ」とか「ちょっと疲れたわ」って言えたら、少しは楽になるのかもしれない。けど、そんな相手も時間もない。だから、こうして文章にして残している。愚痴ばっかりの文章かもしれないけど、誰かが読んでくれたなら、それだけで少し救われる。たったそれだけで、もう少しだけ頑張れる。