甘えられないまま大人になった気がする
気がつけば、誰かに頼るという行為から長らく遠ざかっていた。若い頃は失敗すれば「誰か」がフォローしてくれたし、多少のわがままも「しょうがないなあ」と受け入れてもらえた。でも今は違う。40を超え、地方の小さな司法書士事務所を一人で切り盛りする日々。甘えるどころか、甘えてはいけない立場にいる。事務員にだって無理は言えないし、家に帰っても誰もいない。だからだろうか、「頼ってもいいんだよ」という言葉にどこか疎外感を覚えるのは。
いつの間にか「自分でやる」が当たり前に
開業してすぐの頃、書類のチェックや登記の締切に追われて深夜まで働くことが多かった。助けを求めたくても、誰に?という問いがまず頭に浮かぶ。事務員は定時で帰って当然、友人に専門的な相談ができるわけでもない。結局「自分でやるしかない」という結論に落ち着き、それが習慣になった。まるで野球部時代、無茶なノックを一人で黙って受け続けた頃のように、耐えることに意味があるとさえ思っていた。
頼る前に諦める癖
最近ふと気づいた。誰かに頼る前に、「無理だろうな」と勝手に結論づけていることが多い。忙しそうだから、迷惑かけたくないから、断られたら恥ずかしいから。理由を並べればいくらでも出てくる。でもそれって、本当は頼りたいという気持ちを自分で押し殺しているだけなんじゃないか。高校の頃、好きだった女の子にバレンタインのチョコを渡されたのに、「からかわれてる」と受け取らなかった自分を思い出す。あのときも、素直になれなかった。
誰かにお願いすることが申し訳なくなる瞬間
特に仕事では、お願いすることにものすごく罪悪感を抱く。たとえば、事務員にちょっと確認の電話をしてほしいと頼むときでさえ、なんだか申し訳ない気持ちになる。自分でやった方が早いし、負担をかけたくないという気持ちもある。でも実はそれ、相手を信じていないのではなく、自分が誰かに頼ることに慣れていないだけなのかもしれない。相手の優しさや助けを素直に受け取ることが、こんなにも難しいなんて。
司法書士という仕事が「甘え」を遠ざけた
司法書士という仕事は、「頼れる存在」でなければならない。依頼者の不安を受け止め、スピード感をもって確実に処理する。その役割を果たすには、感情を挟む余裕すらないことも多い。気がつけば、自分の感情もどこかに押し込めてしまっていた。「甘える」ことは弱さと同義のように思えて、それを見せた瞬間、信頼を失うのではないかと不安になる。
責任と信頼の重圧の中で
登記申請の一つがミスになれば、信頼も損なわれ、損害賠償にも発展しかねない。そのプレッシャーの中で、「自分が頑張らないといけない」という意識がどんどん強くなる。昔、チームのキャプテンを任されたときと少し似ている。誰もが自分を見ているという感覚に押しつぶされそうになりながらも、「自分だけは倒れてはいけない」と思っていた。あの感覚が今も根っこにあるのかもしれない。
「弱さ」を見せられない職業病
クライアントの前で涙を見せたり、不安を吐露したりできる司法書士なんていない。だからこそ、どんなに苦しくても、笑って対応する。相続の現場で泣いているご遺族に寄り添うとき、自分の孤独なんて出す場所もない。気がつけば、弱さを見せること自体が「間違い」だと感じるようになっていた。そしてその思い込みが、甘えを拒絶する感情につながっている。
真面目な人ほど自分に厳しいという矛盾
誰かに頼らず、完璧にこなすことが「良いこと」と信じて疑わない。そんな人ほど、実は誰よりも疲れている。真面目な性格が、結局は自分の首を締めてしまっている。元野球部の性分もあって、「最後までやりきれ」と自分に言い聞かせてきた。でも、完璧主義は不完全な人間にはつらい。甘えられないのではなく、甘えてはいけないと思い込んでいたのだ。
「助けて」が言えない理由を探して
そもそも、なぜ「助けて」と言えなくなったのか。それは過去の経験が大きい。学生時代や若手時代に、甘えたことで失望されたり、否定されたりしたことが、深く記憶に残っている。そうした記憶は、言葉にしづらく、気づきにくい。でも確実に、今の自分を縛っている。
誰かに寄りかかることへの恐れ
「頼っても大丈夫」と言われても、その先にあるかもしれない拒絶が怖い。頼った相手に負担をかけたり、嫌な顔をされたらどうしよう。そんな不安が、行動を止める。それは過去に「頼らなければよかった」と思う出来事があったからだ。ある日、母に「なんでそんなことも自分でできないの」と言われたことを、40年以上経っても忘れられない。小さな傷は、大人になっても心に残り続ける。
昔の自分はもういないという喪失感
若い頃はもっと素直だった気がする。冗談を言い合い、遠慮なく友人に相談できた。でも、今は違う。人との距離が遠くなり、プライドも高くなった。そして、「昔の自分はどこにいったんだろう」とふと立ち止まることがある。もう一度、あの頃のように人に頼りたい。でも、どうやって甘えればいいのかわからない。まるで自転車の乗り方を忘れてしまったように。
それでも本当は頼りたい
どれだけ言い訳を並べても、心の奥では「頼りたい」「甘えたい」という感情が確かに存在する。その感情に蓋をし続けるのではなく、少しだけでも開けてみたいと思うようになった。もしかしたら、頼ることは弱さではなく、信頼の証なのかもしれない。
「誰かに甘える」ことは生きる術でもある
自分一人の力で生きていくのは限界がある。仕事でも、プライベートでも、少しずつ人を頼る練習をしていきたい。例えば「今日ちょっと疲れてるからお願い」と、事務員に言ってみる。それだけでも、少し心が軽くなるかもしれない。甘え方を忘れた大人たちへ。頼ることを、もう一度、始めてみませんか。