独身のままでいる理由が年々うまくなってきた気がする

独身のままでいる理由が年々うまくなってきた気がする

独身歴も増えたが言い訳のレパートリーも増えた

気づけば独身歴も20年選手。あの頃は「そのうち結婚するつもりだったんです」と言っていたけれど、今では「この生活も悪くないですよ」と笑ってごまかすのが定番になってきた。何がどう悪くないのか、自分でもよくわからないけど、誰かに突っ込まれると「自由が好きなんです」「仕事が恋人で」などと、反射的に口から出るようになっている。まるで準備されたセリフのように。それを聞いた人が苦笑いするのを見て、ああ、またやってしまったなと思う。そんな自分にふと寂しさを感じる夜もある。

「今は仕事が忙しくて」が口ぐせになっている

司法書士という仕事柄、土日も関係なく書類に追われることがある。特に年度末や相続案件が重なる時期には、休日返上は当たり前。そういう生活が続くと、誰かと食事に行く余裕もなくなるし、気がつけば「今はちょっと忙しくて」が言い訳の定型文になっていた。実際に忙しいのも事実なのだけれど、内心では「面倒くさい」や「失敗したくない」という気持ちも隠れている。結婚するには勇気がいる。だけどその勇気を持たないまま、気がつけば年だけ重ねていた。

忙しさに逃げているだけかもしれない

「仕事が忙しい」という言葉は、ある意味、盾のように使える。相手もそれを聞けば深追いしてこないし、自分も本音を言わずに済む。けれど、それって本当に自分のためになっているのだろうか。仕事に打ち込む姿勢は確かに立派だけれど、その裏にある「孤独」や「恐れ」から目を背けているだけなのかもしれない。元野球部の頃は、試合のたびにプレッシャーと向き合ったはずなのに、大人になると守りに入ってしまうのは不思議なものだ。

たまに「結婚願望ありますよ」と言ってしまう矛盾

飲み会や同業者の集まりで「独身なんですね、意外」と言われることがある。そのとき、なぜか「いや、結婚願望はあるんですけどね」と反射的に返してしまう。たぶん、その一言で“まだ終わってない感”を演出したいんだと思う。でも冷静になって考えてみると、じゃあ本気で誰かと向き合ったことが最近あるか?と聞かれると、答えに詰まる。言い訳と現実のギャップに、自分でもちょっと笑えてくる。

「自由を楽しんでいる」と言いながらも

独身でいる理由に「自由」を挙げる人は多い。自分もそのひとりだ。誰にも干渉されず、好きな時に好きな物を食べ、深夜まで野球中継を見たり、急に思い立って旅行に行けたり。確かに、そうした自由は心地よい。だが、その自由が時に虚しさを連れてくる瞬間もある。何気ない夜のスーパーの帰り道や、誕生日の夜に誰からもLINEが来なかったときなど、ふと「これが本当に望んでいた自由なのか?」と立ち止まってしまう。

自分を納得させるための言葉に変わっていく

「自由がいい」と口に出すたび、それは誰かに向けてというより、自分自身に言い聞かせているような気がしてくる。「だからこれでいいんだ」「だから寂しくないんだ」と、自分を納得させるための呪文のように繰り返している。でも、本当は「自由」と「孤独」の境界線は案外あいまいで、紙一重なのかもしれない。最近では、自由という言葉がちょっと重たく感じるときもある。

誰かに共有したいと思った時に気づく

嬉しいことがあったとき、悔しいことがあったとき、ふと誰かに伝えたいと思う瞬間がある。そんなときに「今、連絡できる相手って誰だろう?」と考えると、意外と浮かばなかったりする。仕事の事務員さんは気を遣うし、昔の友人たちはもう家庭がある。そう思うと、「自由な独身」という立場が、少しだけ心細く感じる。その瞬間こそが、本当の意味での“言い訳じゃない自分の声”なのかもしれない。

独身でいる理由を正直に語れる日は来るのか

この歳になると、「なんで結婚しないの?」と聞かれること自体が減ってくる。気を遣ってくれているのか、諦められているのか、それとも同情されているのかは分からない。ただ、そんな空気に甘えて、本当の理由をごまかし続けているのは自分自身だ。誰かに語る前に、自分自身と向き合う必要がある。独身でいる理由を、自信を持って語れるようになる日が来るのか。そのときに言い訳ではなく、“納得”の言葉が出てきたら、それが本当の意味での成長かもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓