はじまりは一通の封筒から
朝、事務所に出勤するとポストに分厚い封筒が投げ込まれていた。差出人の欄には、先月他界した依頼人の名前が記されている。差し戻しにしてはおかしい。あの人が亡くなってから、すでに二週間は経っているはずだ。
「シンドウさん、これ……宛名が手書きですけど、字が妙に震えてます」 サトウさんが眉をひそめながら、封筒を俺の机に置いた。古びた茶封筒。中には何か、固い紙の感触があった。
郵便受けに残された違和感
封を切ると、中から一枚の紙が出てきた。形式ばった文書ではなく、ただ便箋に走り書きされた言葉があった。 「これが、最後のお願いです」 それだけが、黒の万年筆で力強く書かれている。日付も署名もない。
「なんかサザエさんの次回予告みたいですね。『最後のお願いです』『誰に頼んだんだろう』『司法書士は見た』の三本です」 ……冗談を言う余裕がないほど、その文字は重かった。
封筒に同封されていた一枚の紙
便箋のほかに、もう一枚コピーのような紙が挟まっていた。それは、依頼人が生前作成した遺言書の写しだった。けれど、登記の際に提出されたものとは微妙に文言が違っている。
「『全財産を長男に相続させる』になってます。あれ?事前に渡された原本は『全財産を次男に』だったような……」 うっかりミスではすまされない。これが本物なら、提出された遺言は改ざんの可能性がある。
意味深な一文「あなたに託します」
便箋の裏に、さらに一文が書かれていた。 「あなたに託します。あの子には、真実を」 遺言の内容と合わせて読むと、何か重大な事実が隠されている気がしてならなかった。
「こういうときこそ、やれやれ、、、って言う場面ですよね」 苦笑いを浮かべながら、俺は便箋を再び封筒に戻した。
依頼人の死と不可解な登記
調査を進めていくと、登記に使われた遺言書の原本が公正証書ではなく、私文書だったことが判明した。さらに、提出された筆跡には一部、不自然な点があった。
「こんなの、昔ルパンが使ってた変装インクみたいなもんですよ。見た目は本物っぽいけど、においが違う」 そう言ってサトウさんが渡してきたのは、筆跡鑑定の資料だった。
相続登記に潜む不自然な点
長男によって提出された書類には、相続人全員の同意印が押されていた。だが、次男の印影だけが微妙にズレていた。調べてみると、次男は当日、海外に滞在しており、その場にいたはずがない。
「これはたぶん、次男の印鑑を勝手に使ってる。よくある親族間のやつです」 事務的に言うサトウさんの声は冷たいが、芯のある響きがあった。
サトウさんの冷静な指摘
「これ、封筒の糊付け、普通のじゃないですね」 サトウさんが示したのは、糊の部分に残っていた微細な粉末だった。調べると、それは遺言書に使われていたインクと成分が一致していた。
つまり、遺言と便箋は同時に作られ、あとから偽のものがすり替えられた可能性が高いということだ。
筆跡鑑定の提案
鑑定に出していた筆跡の結果が返ってきた。それによると、封筒の字と、遺言の文面は別人の手によるものだった。 「じゃあ、依頼人が本当に書いたのは……この便箋の方?」 俺は無言で頷いた。真実は一枚の紙に残されていた。
元同僚司法書士との再会
手がかりを追って訪れたのは、かつて一緒に研修を受けたことのある元同僚の事務所だった。彼は、依頼人の長男からの依頼で、登記の手続きを行っていたという。
「おいおい、こんなところで昔話か?」 どこか気まずそうに笑うその顔には、嘘が滲んでいた。やれやれ、、、ここでもかよ。
調査から浮かび上がる遺言改ざん疑惑
すべてを結びつけると、登記に使用された遺言書は、元同僚が長男と共謀して偽造したものだった。封筒の便箋は、依頼人が命の終わりを悟った上で、誰かに真実を託そうとした最後の叫びだった。
司法書士として、見過ごすわけにはいかない。俺たちは、すべての資料をまとめて警察に提出した。
法定相続人ではない第三者の存在
便箋の裏には、もうひとつ名前が書かれていた。依頼人の内縁の妻。その存在を長男が隠していたことが、すべての動機だった。 「愛とか憎しみとか、財産には出ない感情ってあるんですね」 サトウさんの言葉が、妙に胸に刺さった。
警察へ提出された「最後の紙片」
あの便箋は、証拠として正式に採用された。すでに故人となった依頼人が、最後に残した「言葉」。それがすべての真実を暴いた。
登記は差し戻され、再び手続きが行われることになった。俺たちの仕事は、ようやく一区切りを迎えた。
事務所に戻った二人の夕暮れ
「やっぱり面倒な依頼は先に断るべきですよ」 サトウさんが茶を淹れながら、冷たく言い放った。 「いや、なんだかんだで、こういうのが一番俺たちらしいじゃないか」 茶の香りがほのかに立ち上る。沈黙が心地よく、珍しく穏やかな時間が流れた。
そして紙片は封筒に戻された
便箋は事件が終わった後、遺族の手に返された。もう証拠ではない。ただの紙切れに戻ったそれでも、確かに誰かの想いが込められていた。
「言葉って、記録よりも生き物ですよね」 サトウさんの言葉に、ただうなずいた。今日もまた、誰かの「真実」を信じて仕事に向かう。それが、俺たち司法書士の矜持だ。