朝の訪問者
見慣れない依頼人
ある雨上がりの朝、事務所のドアを控えめに叩く音がした。 現れたのは中年の女性。やや場違いな厚化粧と、片手にぶら下げた古びたトートバッグが印象的だった。 彼女は開口一番、こう言った。「この家、私のじゃなかったみたいなんです。」
サトウさんの鋭い指摘
女性が差し出した登記簿謄本を一瞥したサトウさんは、すぐに眉をひそめた。 「これは…表題登記の地番と実際の所在地がズレてますね。しかも、建物の構造表記が空白になってます。」 彼女は書類を指でトントンと叩きながら、どこか面白がるような声色だった。
奇妙な建物表示
地番と表題の食い違い
物件の所在地は「南町二丁目五番地」だが、登記上は「南町二丁目七番地」となっていた。 「いやいや、五番地に家があるのは確実なんですよ。私、そこに住んでたんですから」と女性。 だが登記簿上、その場所には何も建っていないことになっていた。
謄本に現れない家
もっと不可解だったのは、家の表題登記がまるで初めからなかったように、記録が抜け落ちていたことだ。 所有者欄も空白。建築年も未記載。まるで“存在していなかった家”のようだ。 「やれやれ、、、これはサザエさんで言うなら、タマが家ごと消えたような話だな」と口走ってから、シンドウは自分の例えにちょっとだけ恥じた。
司法書士の憂鬱な午後
やれやれ、、、また厄介な案件か
午後、手続きの山に囲まれながらも、この案件の不可思議さが脳裏から離れなかった。 「地番ミスか?いや、それだけじゃこんなに情報が消えるはずない。意図的だ。」 そう呟くシンドウを横目に、サトウさんは黙々とオンラインで土地台帳を検索していた。
所有者の名は消えていた
旧台帳にアクセスした瞬間、サトウさんの手が止まった。 「平成十二年までは“ミナミ コウジ”って人の所有だった形跡があります。でも…それ以降はごっそり消されてます。」 「抹消登記じゃない…?いや、履歴ごと?」と、シンドウも眉をひそめる。
裏の登記簿
法務局職員の口ごもり
翌日、法務局の古株職員を訪ねると、彼は帳簿を見て微妙な顔をした。 「……これ、内部でも扱いに困ってるやつですね。前任が“地番統合ミス”って言ってましたが、正直、意図的に消された可能性もあると……」 その言葉にシンドウは背筋がゾワリとした。
20年前の訂正願
古い紙ファイルに挟まっていた一枚の訂正願。 それには「登記簿表題の訂正を求む」と手書きで書かれていた。申請者は“南町建設株式会社”、すでに廃業している。 その訂正願には受理印がなく、まるで誰にも見られることを前提としていないようだった。
夜の現地調査
人の気配がある廃屋
気になって、夜のうちに現地へ向かった。 表札は外され、門は蔦に覆われていたが、窓から微かな灯りが漏れていた。 誰かが…確かに“住んで”いた。
玄関ポストの謎の書類
ポストに差し込まれていたのは、雨に滲んだA4用紙の束。 その中には、「売買契約書」「表題登記の案」「所有権移転の草案」などが雑然と並んでいた。 一枚にだけ、“所有者代理 ミナミ コウジ”の署名があった。
サトウさんの推理
登記簿は真実を語らない
「これは仮装名義ですね。所有者が会社名義に変えたつもりでいたが、書類の不備で登記が完了していなかった。で、会社は潰れた。本人はそれを知らずに住み続けてたんです。」 サトウさんの読みは正確だった。 すべては“登記されていないこと”による、記録上の消失。
浮かび上がる仮装名義
表題登記を欠いた建物は、登記簿上「存在しない」。だが現実にはそこにあって、人が住んでいた。 そして、その“消えた所有者”は、何らかの事情で記録からも社会からも退いた。 サトウさんは呟いた。「行政の盲点ね。記録にない家は、存在していないも同然。」
真相とその代償
登記を操ったのは誰か
南町建設が税回避のために作った名義操作だった。 だがそれが崩れたあと、元の住人は孤独の中で“自分の家”に住み続けていた。 所有権を証明するすべは、もう存在していなかった。
正しい登記と失われた居場所
行政と交渉し、建物表題を新たに作成し、所有者不存在として裁定。 依頼人はようやく、居住権だけを手にした。 その日、彼女は深く頭を下げた。「家って…登記じゃなくて、思い出なんですね。」